2008年07月29日

地域振興の可能性

TVや新聞で、既にご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、この度、京丹後市政策企画委員に任命されました。

これ迄、何度か触れて参りました通り、地域活性化に向けて地道に活動してきましたが、こうして、公の場で皆様にご報告出来るような機会を頂けた事を、嬉しく思います。
本業の料理屋と二足の草鞋になるのでは、というご助言を頂く事もありますが、今日の「京都吉兆」があるのは、お客様に足をお運び頂いた事は勿論、「京都吉兆」と直接関係のない皆様にも、様々なご意見を賜れたからだと思います。
その御意見を元に、私なりに創意工夫し、試行錯誤を重ねてきたから、成長し続けてこられたのだと思います。その事を忘れない為にも、皆さまのお役に立ち、延いては社会に少しでも還元出来れば、と考えております。 

日本食は、素材が命です。海外からのオファーに応じ、広い世界を見させて頂き、海外での食の状況も勉強しながら、改めて日本の足元を見直す、そんなフィードバックを今後も続け、皆様に日本食の愉しさを提供出来るよう、精進して参ります。

京都吉兆としてのコンプライアンスの取り組みについても、又ご報告させて頂きますので、もう少々お待ち頂けましたら幸いです。

尚、毎日新聞と産経新聞、京都新聞の当記事の詳細は、弊社HP「メディア紹介」にて、ご覧頂けます。
朝日新聞と日本経済新聞に関しては、下記からご覧頂けます。是非、ご高覧下さいませ。 

毎日新聞
産経新聞
京丹後市役所HP
朝日新聞

日本経済新聞

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posted by 徳岡邦夫 at 13:13| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月28日

ご 報 告

株式会社 東京吉兆
株式会社 本 吉 兆
株式会社 京都吉兆
株式会社 神戸吉兆

1. はじめに
 この度、船場吉兆が自ら吉兆グループのブランドを返上し、吉兆グループから脱退するとともに、料亭としての業務についても廃業することを決定いたしましたのでご報告申し上げます。
 
船場吉兆において各種法令違反行為が発覚して以来、船場を除く吉兆グループ各社は「吉兆 食のコンプライアンス委員会」を設置し、行動規範に則り規約の作成、委員会組織の整備や各店の品質管理状況の確認、食の知識の向上に努めてまいりましたが、まさに船場吉兆に対して委員会への参加を呼びかけようとしていた矢先に新たに使いまわしの問題が発覚し、非常に残念であると同時に、事前にそうした問題があったことを委員会に対して表明いただけなかったことは現時点においても極めて遺憾であると考えております。

 これまで船場吉兆が起こした「食」に関するコンプライアンスやモラル上の問題につきまして、お客様、お取引先様、及び関係者の皆様にご迷惑をおかけいたしましたこと、改めて心よりお詫び申し上げるとともに、今後このような問題を二度と起こさぬよう吉兆グループ各社が引き続き一丸となって再発防止に取り組んでまいります。

2. 「吉兆」というブランドについて
 吉兆グループ各社は、創業者である湯木貞一が、1991年に子供たちに暖簾分けの形で独立させ、現在は、個々の料亭及び料理店としての営業会社として存在しております。各社は資本関係がなく、仕入先や営業方法についても独自の経営姿勢を貫いてまいりました。
 しかし、船場吉兆の一連の不祥事を受けて、グループ各社はこれらの問題を真摯に受け止め、再び、創業者「湯木貞一」が目指した食文化の原点に立ち返ることを余儀なくされました。それほど、「吉兆」というブランドは大きく、社会的な問題事象として本事件が取り上げられる機会も多々ありました。それに伴い、お叱りやご意見も各店に多数寄せられました。
 もともと創業者 湯木貞一は、茶道の精神を愛し、「一期一会」のおもてなしの心を大切にし、お客様にはその嗜好に合わせて、ご提供する料理もしつらえも異なる「One to Oneのおもてなし」の姿勢を貫いてきました。
 非常に残念なことですが、いつしか船場吉兆はその原点を忘れ、食を扱う者として、してはならない多くの行為を行うに至りました。吉兆グループ各社においても同じ「吉兆」というブランドの重さを十分に認識せず、品質管理に関する相互の監視体制や取り組みに甘さがありました。
 そのような中、多くのお客様から厳しいお叱り、暖かいご意見をいただくにつれ、「吉兆」とはどんなブランドなのか、という思いが強くなりました。そして行き着いたのは、やはり創業者 湯木貞一の原点の世界でした。
 私たちグループ各社は、そうした貞一の開いた歴史と伝統を継承していきたいと強く願い、同時にこれからも日本文化を伝え、守る役割を果たしていきたいと考えております。そして、法令等の遵守や食の安全性にとどまらず、お客様にご満足いただける高品質なお料理とおもてなしへの向上に向け、より一層精進する所存です。

3. 吉兆グループの新たな試み
 今後、吉兆グループ各社は、現在行っている取り組みに加え、「吉兆 食のコンプライアンス委員会」等を通じて、お客様からのご意見等を継続的に話し合い、各店の独立性を維持しながらも、より高品質なお料理の提供とおもてなしの向上に向けて、各店が共通の認識のもと精進し、さらなるブランドの強化を図ってまいります。


【報道関係者お問い合わせ先】

株式会社 本吉兆 湯木潤治 FAX06-6231-1962

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2008年05月10日

今考える事

船場吉兆にて料理を使い回ししていた問題は、食に携わる者として論外で、あってはならないことです。そして非常識であると認識しております。また、そうした行為が同じ「吉兆」というブランドを持つ料理屋において発生してしまったことはどうしようもなく情けなく残念です。

再開後はそのような問題は絶対ないと信じておりますが、船場吉兆店は、おもてなしの原点に立ち返り、食の信頼を回復すべく、さらなる安心、安全な食品の提供に努めていただきたいと考えております。

沢山の皆様より、
何故、船場吉兆をほか4グループの力で潰さないのか?
何故、船場吉兆の名前を取り上げないのか?
と言うご質問を賜ります。

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posted by 徳岡邦夫 at 20:59| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月02日

近況報告

嵐山の山々も桜色に染まり、華やかな情景が深まってまいりました。

船場吉兆の不祥事では、沢山の方々にご心配頂き有難う御座いました。
一つ一つの事の本質を問いながら頑張っております。
暫く筆不精しておりました。近況報告をさせて頂けたら幸いです。

先日、リクナビブログでもご紹介しましたが、何年も前から参加させて頂いている、地域活性化、食育、一次産業活性化が、少しずつ色々な所でリンクし始めたように思います。

榊原英資さん主導のFJN初め、堺市のブランド創造発信事業、山形県や京丹後市の地域活性化など、国内外や地域にこだわらず、お声掛けを頂いた皆様のお手伝いをさせ続けてまいりました。
何度も何度も地道に職員さんや現場の方々との会議や実践のフィードバックを重ねて来ました。

そしてそのことが、昨年11月のCIAでのコンフェランスに引き続き、今年の7月には、サンフランシスコでの「Umami Symposium」や、ニューヨークでの「James Beard Foundation Dinner」に招聘して頂く事に結びついたのかもしれません。。
まだまだ不勉強なのですが、私自身が考える参加目的は、懐石やフレンチなどのジャンルにこだわらず、健康と環境を意識した、「食の本質」を、人種を超えて問いかける為です。
日本料理や特定の国の文化に固執することなく、ボーダレスに幸せの探求を考えています。

料理屋に生まれた私は、子供の頃から知らず知らずのうちに「美味しさ」を追求して来たようです。そして、導かれた答えのひとつは、「必要なもの」だから美味しく感じるのだと言う事です。

体が、頭が、心が、感覚が求める食べ物・・・これが、個々人の「美味しさ」や「健康」「美容」に繋がるのだと思います。
勿論、適量と言う物がありますし、溢れる情報で、感じたり感じなくなっていることもあるでしょう。しかし、「美味しさ」の本質と言うのは、個人が健康に活力的に生きるために欲するのものだと思います。

そして、その「美味しさ」を支えているものは、他ならぬ自然環境なのではないか、と言う考えに至りました。

例えば、日本料理に欠かせない昆布出汁ですが、美味しい出汁をひく為には、当たり前の事ですが、先ず、美味しい昆布が要ります。

その昆布が出来るには、美しい水が必要です。
太陽、空気、微生物、栄養素、土壌環境、適度な気温、四季、天候条件など、様々な「環境」や相乗作用が必要です。
海を汚さないようにする、地域の人々や企業の意識も不可欠です。
昆布を実際に取られる方々や、それを加工する方々の知識や技術、人手が必要です。
作り手の知識や技術、アイデアも必要だと思います。

そうして出来た昆布出汁と、相乗効果を生み出す他の食材の質も重要ですし、そこには、それを作る農家や酪農家の皆さんの努力、知識、技術、管理も大切になってきます。
又、これら全てに通じる大事な事は、何よりも「継続」だと思います。

先人達の智恵が育んできた文化や環境、生命、それら全てを私のお出しする料理に表現出来たら、これ以上幸せな事はありません。
そして、次世代に繋げる為の現状ふまえた工夫が必要です。
タイミング、手順、方法は、何を何方にということで、変わってきます。
そういう事を、一つ一つ考え工夫し 行動に移していく、諦めずにです。

これからも、京都、名古屋にあります私ども京都吉兆では勿論の事、国や人種、世代を超えた多くの方々と、後戻りすることなく、今の環境を洞察し受入れて、「食」というキーワードを通じて共生していけたら幸いです。

皆様の信頼に応えられるよう、益々切磋琢磨して参ります!
posted by 徳岡邦夫 at 19:46| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月15日

吉兆グループとしての今後の取組みに関するお知らせ

吉兆グループとしての今後の取組みに関するお知らせ

今回、グループ会社の一員である船場吉兆が起こした「食」に関する問題につきまして、お客様、お取引先様、及び関係者の皆様にご心配、ご迷惑をおかけいたしましたこと、心よりお詫び申し上げます。
吉兆グループ各社(船場吉兆を除く、以下同じ)は、今回、このような問題が発生したことを真摯に受け止め、創業者「湯木貞一」が目指した食文化の原点に立ち返り、安心してお召し上がりいただける「食」のご提供に、グループ各社が一丸となって取り組むことを、今一度確認いたしましたのでご報告申し上げます。なお、本件につきましては、船場吉兆に対しグループ全体の取り組みとして参加するよう、申し入れしているところです。続きを読む
posted by 徳岡邦夫 at 13:12| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月12日

改めてお詫び申し上げます。

「船場吉兆」で起きた問題について、改めてお詫び申し上げます。

多くの方からお言葉を頂いております。

・船場とか京都とか東京とか言っているが、消費者にとってはどこも同じ吉兆だ。
・京都吉兆も責任の一端がある。それに気付かないのは当事者意識がないのでは?
・徳岡邦夫はマスコミで偉そうなことを言っているが、身内の方がダメではないか。
・休業または廃業すべきだ。
など、大変厳しいご意見もありました。

まず今回の一連の偽装で、私たちの身内が多くの方々の信頼を裏切ったことについて、私だけでなく「吉兆」の名を掲げて商売をさせて頂いている者は一様に、痛切な痛みを感じております。またグループ各社として力を合わせて失った信頼を回復する責任があるとも考えております。現在、外部の方のご意見も頂きながら、その方法を懸命に模索しております。

ただ事実として再度ご理解頂きたいと思いますのは、吉兆グループ5社は「吉兆」という名前を共有する以外、完全に別の経営であるということです。

ですので、他の吉兆も船場吉兆と同じ商品を売っているのではないか、同じように偽装をしているのではないか、偽装を知っていて隠していたのではないか、というご批判には当たりません。

京都吉兆が扱う商品については、先にご報告したとおり、保健所や公的機関の調査の結果、適切な消費、賞味期限管理、産地表示管理が行われていることが確認されております。どうぞご安心のうえ、ご利用頂ければ幸甚です。

一方で、多くの消費者の方にとって「吉兆」の名を掲げる店は、どこであってもそれは「吉兆」である、というご指摘はその通りだと思います。同じ名を冠する企業同士、もっと密な連携を取り、安心と安全が最も大切な「食」というものに対する意識や態勢を共有しておくべきだった…。偽装問題が明らかになって以後、そんな思いは私自身強く抱いております。もちろん船場吉兆の者もすべてにおいて意識が低かったわけではないと思いますが、このような問題を起こした以上、意識と態勢に欠点があったのは事実です。私も、他の吉兆の人間も、その欠点に気付かず、結果として「吉兆」という名前全体に寄せられていた信頼を裏切る結果になりました。

それは私を含め「吉兆」の名を共有する者の、消費者の皆様側からの視点の欠如、すなわち当事者意識の欠如が招いた結果なのかもしれません。


私個人がメディアでさまざまなことを語るのは、一つの思いがあります。一言で言えば、料理人であり、食にかかわっている人間として「社会に対して自分が貢献出来ること」を模索していく中で、メディアで語ることも含まれていたのです。


これまで料理人は自分の店に来て頂いたお客さまにおもてなしをすることがほぼすべての仕事でした。「食」というもの、それを支える一次産業の重要性、そして窮状は、お店でお客さまに料理を通じてお伝えする時に直接お話をするしか方法がありませんでした。


私は、店に来て頂く方はもちろん、それ以外の方々、吉兆のことをご存じない方、食や一次産業に興味もない方にも、この問題について一緒に考える機会を持って頂きたいと思ってきました。その思いの発露の一つの形が、メディアでの活動です。

もちろん店は料理人の最大の職場ですから、そこでは常に全力の仕事をしております。私自身が調理場を離れねばならないことも時にはありますが、その時も変わらず私と京都吉兆嵐山本店の持てる最高の力でお客さまへのおもてなしをしております。


「食の大切さを語っているのに身内で偽装をして、食への信頼を損ねたじゃないか」というご指摘には、正直お返しする言葉もございません。ただ今後さまざまな形で信頼を回復する活動を続けていくことしか、私に出来ることはないとも考えております。

ここまで書いてきたことは、基本的には私、徳岡邦夫1人の意見です。

船場吉兆を含め、吉兆グループ他4社とは、別会社ですので、正式にこのような話は出来ておりません。
今後、このような話を定期的に話し合い、我々自身の至らなかったところを見つめ直し、将来どうすべきかを話し合って行くべきだと考えております。

対等なポジションでの話合いこそが、健全な環境を産むのだと考えております。
具体的に、公的な偏っていない透明性のある環境を作り出しその場での話合いをする事こそが、健全な環境を生み出す結果に結びつくと考えております。そういう場からは、不健全な要素は、排除されるのだと確信しています。

船場吉兆は、只今、九州農政局の調査を受けている最中です。今後も関係機関のご協力も得ながら問題の原因究明と情報公開に努めることになると思います。

同時に私たち京都吉兆も私たちの思いと進むべき道を探求しながら、こつこつと料理屋として当たり前の事をなし、歩んでいくだけしかないと考えております。

事態の変化が続いていたため、私の考えや思いを伝える事が遅れ、誠に申し訳ございませんでした。
生産者、消費者、すべての皆様に存在価値のある吉兆の姿を目指してこれからも精進してまいる所存です。


2007年11月12日 京都吉兆 徳岡邦夫


 

posted by 徳岡邦夫 at 19:47| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月31日

繰り返しお詫び申し上げます

この度は、大変ご迷惑をおかけして、誠に申し訳ございません。

そして、たくさんの励ましのお言葉ありがとうございます。オール吉兆の平役員として、心苦しいかぎりですが、吉兆の一人として、皆様の為に存在意義のある吉兆をめざし精進していく所存です。あい変わりませずご指導賜りますようお願い申し上げます。

ただ今、今後の在り方を、オール吉兆役員とともに、反省、協議させて頂いております。オール吉兆としての気持ちをかならずお伝えいたします。もうしばらくのご猶予をくださいませ。
posted by 徳岡邦夫 at 22:59| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お詫び申し上げます

このたび「船場吉兆」で起きた問題について、グループ会社を経営する1人として、また「吉兆」のブランドを掲げる者として、心からお詫び申し上げます。

吉兆をご利用頂いた方はもとより、お取り引き先、関係機関の皆様、このブログを読んで下さっている方々、私どもの取り組みに関心を持って下さっている方々、そしてすべての生産者、消費者の方々の信頼を裏切り、ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません。

消費期限改ざんが起きた原因、背景については、行政など関係機関の皆様のご指導を頂き、船場吉兆で調査している段階です。吉兆グループとしても今後、正確な状況把握、情報公開に努めて参ります。今しばらくご猶予を頂ければと存じます。


私どもの祖父、湯木貞一が1930年に創業した吉兆は1991年に五つの会社グループに分社致しました。高麗橋(本吉兆)、船場吉兆、東京吉兆、神戸吉兆、そして私どもの京都吉兆です。

現在、五つの会社グループは「吉兆」の名を共有しつつ、それぞれ別会社として経営しております。

仕入れや商品開発も独自に行っており、京都吉兆の各店舗およびインターネットショップでは、私どもの食品部が独自に開発し、管理している商品しか販売致しておりません。

また京都吉兆食品部が扱うすべての商品については、正確な製造日、消費期限管理が行われていることを改めて確認致しました。

今後もご安心のうえ、ご利用頂ければ、これに勝る喜びはございません。

今後とも、ご指導、ご鞭撻頂きますようお願い申し上げます。



2007年10月30日 京都吉兆 徳岡邦夫
posted by 徳岡邦夫 at 14:34| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月30日

共に生きるため食を知る

[毎日新聞] 2007年7月13日掲載されました。

「食の力」と言うテーマで、連載されています。
京都吉兆HPの「メディア紹介」より今迄の掲載された物が、見ることが出来ます。

☆共に生きるため食を知る
 
 最近、よく耳にする「食育」と言う言葉。広辞苑(第5版)の見出し語にはないが、言葉としての歴史は以外に古い。
1898(明治31)年、福井県出身の医師、薬剤師で陸軍少将、薬剤監という地位にあった石塚左玄の著書「通俗食物養生法」。
この中の「体育智育才育は即ち食育なり」というくだりが「食育」の初出という。
1903(明治36)年には作家、村井弦斎も著書「食道楽」の中で「食育」と書いた。しかし、その後約1世紀、世間からこの言葉は消える。

“復活”はBSE(牛海綿状脳症)の発生や食品の産地偽装で食への信頼が揺らいだ01、02年ごろ。03年には小泉純一郎首相(当時)が施政方針演説に「食育の推進」を盛り込み、05年6月に「食育基本法」が成立。
法の前文は食育を『知育、徳育、体育の基礎」と位置づけた。


徳岡邦夫(47)=京都吉兆嵐山本店総料理長=が、食について語り始めたのは「食育の復活」を数年さかのぼる90年代末のことだ。料理の質を高めるため1次産業の現場を歩き回り、その窮状を目の当たりにしたのが契機となった。
以来、学校、市民グループ、メディア・・・・請われれば出かけて「食の大切さ」を語る。
この12日にも、京都学園大の健康講座で壇上に立った。

「経済が破綻しても人類は生きていける。でも食が破綻すると全滅。優先順位で言えば食の方が断然上なんです!」という語りかけは、今や徳岡の講演の定番でもある。


そんな徳岡の考える「食育」とはどんなものか。

「食に対するあらゆる意識を高めてもらうこと」。最初の答えは一言。

その後、熱のこもった話が続く。
「食の効果とは何か。食を一緒に囲むことで人間性をはぐくみ、社会の和を作る。例えば食事をした仲間で新しい価値観や文化、ビジネスも生まれる。安全でおいしい食材を作れば水や土、大気の環境改善になるし、農業や漁業は国の根幹を守る大切な存在だという意識が社会に根付くと1次産業の健全化につながる。家庭、地域の味や習慣を伝えることで、若い世代が文化を継承する意味を学ぶことにもなる・・・・」

 

具体的には味の違いを知ることがスタート、という。そこで食への興味がわく。
吉兆の食材を使った「多べ比べ」がまさに徳岡流食育の出発点だ。

「政治も経済も道徳も環境も、人と人が共に生きるために必要なこと、それはすべて食に通じる。そう思ってるから僕は語り続けてる」。言いながら、徳岡は何度もうなずく。自分の使命を再確認するかのように。


「食能(よ)く人を健にし弱にし、食能く人を聖にし暴にし、食能く人を雅にし俗にするのみならず、食能く人の心を軟化して質素静粛に勤勉し、食能くの人の心を硬化して華美喧噪に断行するに至る」。

石塚左玄はこう言って、食が人間に与える影響の大きさを説いた。

100年余り後、徳岡もまた自分の流儀で「食の意味」を語り続けている。

posted by 徳岡邦夫 at 20:19| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月16日

甘味処「徳屋」

京都祇園にある、甘味処「徳屋」さんは、私、徳岡邦夫のプロデュースではありません。

御友達が、経営者なので、オープン時に少しアドバイスしただけなんです。
京都吉兆がプロデュースしたように、メディアや口コミが氾濫しているようですが、京都吉兆とは関係が無いので御間違いなく宜しくお願い致します。

最近、「徳屋」さんの問い合わせやクレームを御伺いしますが、連絡先を下記に表記しますので、直接お願い致します。
京都市東山区祇園町南側570-127 
TEL.075-561-5554.
posted by 徳岡邦夫 at 12:54| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月18日

柳緑花紅.

柳緑花紅「やなぎは、みどり。はなは、くれない。」
柳は緑に、花は紅に見える、と当たり前のことを文言にしたのでしょう。

 

当たり前のことをあるがままに受け入れなさいという事なのでしょうか?
よく考えると、私達は、先入観無しに、あるがままを受け入れることが、出来ないでいませんか?
あるいは、物事を驚くほど、見ていないし、理解していない様に思います。私自身の体験ですが、、、。

 

子どもを亡くした親にとって、「あるがままの人生」を認めることは、とてもつらいことです。
逆縁の不幸、実際に子どもを失った親にしかわからない辛さです。

 

その昔、子供を失った親が何とかして、わが子の息を吹き返してくれと、その屍を抱きながら釈尊にすがったそうです。
釈尊在世の当時も、現代も、親の気持ちには変わりないと思います。
釈尊は「子供を生き返らせる薬は、白いケシです。町へ行ってきなさい。ただし、今まで一度も死人を出していない家から譲ってもらってきなさい。」と言ったそうです。

親はケシさえ手に入れることが出来たら、子どもが生き返ると喜んで町へ行き、一軒一軒、訪ね探すのですが、当然、釈尊の条件を満たす家は存在しなかったようです。
 
疲れ果てて釈尊のもとに帰ってくると、釈尊は「生まれた者はかならず死ぬのであって、この道理に反するものはだれもいない」と諭されたそうです。
気が動転している所為か、当たり前の道理をありのまま受け入れられないでいたのでしょう。
 
日ごろの、私達にも、かるはずみな思い込みや、尊敬する方の発言を信用しすぎて、若しくは、愛の本質ではなく、愛と言う言葉に依存しすぎ、ありのままの出来事、ありのままの自分自身を見失っていませんか?
 
当たり前のことをあるがままに受け入れるという事は、実は、大変難しい事のようです。
 
人生の中では、大変辛い時期や苦しい場面が必ずあります。辛さや苦しさから逃げ出さないで、現状を把握する事が大切です。

起こっている結果は、全て現実と言う事を受け入れないと、次のアクションには、結び付けられないからです。
勿論、その苦しい時期が、最後ではないのです。
たとえ、自分自身の命が絶えようとも、その思いを次世代に託す事もできます。

 

良かれと思ったことが、実は、多くの方の犠牲の元、成立している事もあるのです。
私が人の為と思いとった行動は、実は、多くの人を傷つけている事もあるのです。
どうすればよいのでしょうか?
失敗を恐れていては、何も出来なくなってしまいます。
若しくは、失敗を恐れていては、自分の存在価値が、なくなってしまいます。
存在価値がないから自殺するのですか?
存在価値がないから、自分自身が、いなくなっても世の中は、変わらない。だから自殺しよう。ですか?

 
道理が合いません。考え方の道筋が通っていません。
 

よ〜く考えてみて下さい。私達は、今、確かに存在しているのです。
その現実は、先ずは、今、大自然のバランスの中、必要とされてるという証です。

 

大自然の出来事は、ただ起こっているだけなのです。
さくら舞い散る中、萌黄色の新芽が、芽吹いています。
人間はそれを眺め、萌黄と桜色のコントラストを感じ、、、散る=死と芽吹く=生のコントラストの中から、どうしようもない輪廻を感じるのでしょう。
でも、その出来事は、ただ起こっているだけなのです。
善も悪もなくです。

 
諦めることなく、良く見、良く聞き、良く考えて、現状を把握し、自分自身を見つめ、問いただし、宇宙の中で必要な存在を目指し、自分のスタンスで努力するしかないと思います。
 
幸せになる事を諦めないで欲しいです。


付け加えると、自分だけを主張すると、その幸せは、長続きしません。
宇宙のバランスを欠くからです。その反動が、必ず帰ってきます。
お気をつけ下さいませ。

自然界から、学びましょう。
 
posted by 徳岡邦夫 at 21:32| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月31日

マジック。

 以前、友人の自宅にて 、テーブルマジックショーを見させて頂きました。 
 不思議・不思議の連続でした。 
  ショーの後、 マジシャンの方を含め、お酒がすすみいいろいろな話になりました。

そのいろいろな話の中で私が感じた事は、手品には必ず「タネ」が有ると言う事です。
       

人の思い込みや 視野の狭さ、に気づかされました。 同時に自然な所作の中に「タネ」が有るのではないかと思うようになりました。
 

タネ明かしはして頂けなかったのですが、そんな事を思いました。 そして私たちが日常やビジネス、料理の世界でしっかり見ているつもりの物は、本当に事実を見ているのかが分からなくなってきました。
       

全てが、目の錯覚や思い込みの世界ですよね!! 
ある一部分だけしか見えていなモノを真実と感じています。

全体を見通す事など不可能なようにも感じます。
       

そういう中にいて 自分一人だけの決断がどんなに不適当な物なのかと言う事に改めて気づかされました。 そこで大事な物は、コミュニケーション です。
 
それを出来る能力とそこで結論を出せる能力と実行しその後の責任を取ろうとする意志とその事を次の結果に結びつけようとし、出来る事が大事なように思います。
 
マジックて面白い!!
 江戸時代から日本にあったそうですよ!!
「品玉(しなだま)」は、弄玉・支那玉・志な玉・しな玉・品玉、とも呼ばれ、最初は曲芸の綾とりの芸をさしたものだった様です。

それが、江戸中期には手練技の手品「お椀と玉」を指すようになり、それが、江戸中期から後期にかけて、手品の名称として「品玉」と呼ばれるようになったのだそうです。 伏せたお椀の間を、布製の小玉が変幻自在するところに、不思議な面白さがあります。
       

目にもとまらぬ早さで行きかうお手玉の現象が、「綾とり」の演技を連想させたものと推測されているそうです。
       

 いかにも昔の手品らしいひびきがあります。  

『さて、このたびは三つのお椀と三つのお手玉を使いましての手品でございます。鹿(か)の子のお手玉は扇面の風におくられまして変幻自在、早い手玉や品玉の、品よくかよう綾(あや)だすき、かけて思いの鹿の子玉、あけてくやしき玉手箱、お囃子にのりまして、品玉の手品、まずはお椀のあらためからでございます…』
         

前口上に続いて、お囃子にのって操る日本古来のお座敷手品「お椀と玉」は、欧米では「CUP AND BALL」と呼ばれ、その源は紀元前までさかのぼることができるそうです。 
 

世界で最も古い奇術の一つといわれ、発祥の地には諸説がありますが東洋(中近東を含む)に起り世界中にひろがったものと考えられています。 
      
日本に伝えられている「お椀と玉」は、インドを源にして中国に伝えられそれが仏教の伝来と相前後して日本に渡ってきたといわれているそうです。  
 遠く貞観三年(861年)の「三代実録」に弄玉(しなだま)、康平元年(1058年)の「新猿楽記」(1058年)や「看聞御記」の嘉吉元年(1441年)の条に、弄玉の語が記されていると言う事です。

 当初は、毬や撥、鎌などを宙へ投げてお手玉のようにする曲取り(綾とり)だったようです。
 それが、手品の品玉になったのは、いつ頃であるか、はっきりしませんが、「お椀と玉」を「品玉」と称されるようになったのは、江戸中期に、初めて伝授書に解説されている様です。

 

明和元年(1764年)の「放下釜(ほうかせん)」。次いで、安政八年(1779年)の「天狗通」です。いづれも、平瀬輔世の著と言う事です。
 元来、「お椀と玉」は、大道で莚(むしろ)を敷き、その上で直に演じていました。それが、江戸中期にはお座敷芸と変わっていったのです。「放下釜」の中で「しな玉の術」として、その秘技を詳しく解説されていると言う事です。
 どの道も奥が深そうです。 手品の世界を調べているうちに私が感じたことは、 どのジャンルでも、人が遣り甲斐を感じ、競争をし 深めていき 次の時代に伝えようとします。
       

なぜでしょう? そうしないと人は、生き続けて行く意欲が無くなるからなのでしょうか?
       

自分自身の存在価値をそこに見出しているのでしょうか?
       

ただ生かされているだけなのでしょうか? だれに?神が存在するのですか?
「神」と言うのは、人間が作り出したものだと考えています。そして神の存在は、人間にとって必要な存在なのだとも感じています。
 

不思議な世界に入ってしまいました。 目に見えないものは、信じない!必要ない!と言う方もいますが、目に見えない物の中に、共に生きていくために、必要なこともあるように感じています。 神の存在もそうかもしれませんが、人の思いと言うものが、一番大切にしなくてはいけないモノなのではないかと感じ、考えています。 私としては、人に提案するだけではなく、今を一生懸命、自分のスタンスで出来る限りの事を 先入観にとらわねぬ様にしっかり本質を見つめ、皆さんに相談しながら実行していきます。
       

懸命に生き続けます。
       

そして、その事が他の方々にも喜んで頂ける形でなければ、続けていけないのでしょう。  マジックという場所は、不思議で巧みで美しい時間を体験できる所であると同時に、人の妙、世の中の妙を改めて考え直すきっかけを与えてくれる空間でもある様です。
posted by 徳岡邦夫 at 20:11| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月27日

「都をどり」

 「都をどり」は、春の訪れを 知らしてくれる京舞です。
 
明治五年、第一回京都博覧会の余興の「付博覧」として企画されたのが始まりらしいです。
 
この時は、京舞の井上流三世 井上八千代家元(片山春子女史)が伊勢古市の踊りを取り入れて振り付けを創案、お囃子は田中咲松氏、三味線は杵屋庄三氏が担当し、京都府参事槇正直氏が「都踊十二調」を作詞して第一回を開催したとお聞きしました。


 以来、第二次大戦を はさんで六年間中断しましたが、百年以上の歴史がある舞台です。
       

今年で 第百三十五回目です。
伝統と格式を誇る舞台構成を特色としており、装置の豪華さ、衣装の華やかさ、「都踊はぁ ヨーイヤサー」と一際高い嬌声で和して始まる優美な京舞で人気を集めています。
 

12:30〜、14:00〜、15:30〜、16:50〜と一日、四公演を 一ヶ月演ずるハードな興行としても知られています、日頃から 厳しい稽古、戒律の中で育んだ根性、情熱がないと とてもやり遂げることが出来ないと思います。
 

芸妓さん、舞妓さん 裏方さん がんばれ〜!!


 

posted by 徳岡邦夫 at 19:25| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月26日

危機回避能力の退化。

 「四季の移り変わり、自然のライフサイクル を感じることは大変豊かで 文化的だ!」
       
それだけでは、ないと思います。 
生き抜いていくためには、周りの環境の変化 自分自身の立っている位置、敵か味方か 共感できるか出来ないか、 妥協点はあるのかないのか 云々・・・を察知し行動できることが 大事である。
       

このように言葉にしてしまうと 、 冷血で神経質に感じると思いますが、要は、 生きる力が 弱まっているように感じかせんか?
       

危機回避能力が 退化ingしていると お思いに 成りませんか?
       

食に関して指摘してみれば、日本人は、目の前に 出された物は、大丈夫だと かってに決めつけて、 よく見もしないで、臭いもかがず、味も見ないで 体内に取り込んでしまっています。
       

本当に 大丈夫なのですか? 
情報にごまかされていませんか?  
先入観にとらわれていませんか? 
誰かのことを 信用しすぎてませんか? 

 四季の移り変わりを感じ、  御自分の指先、肌、毛先、内臓に 問い掛けてみてください。 
静かにしていると 血液の流れている事に 気がつきます。健全な 循環は、より高度な循環に 移行していくと感じています。
       

その為に 具体的に 何をすれば 良いのか みなさんと 考えたいと思っています。
       

 私自身が今、感じている事は、 間違う事を恐れず、自分自身が無恥無能な事をさらし、 恥ずかしがらずに行動に移し、だめな部分を 素直に認め 体験として自分で感じ自分の物にして行きたいです。 どんなに 信頼している方でも 反対に どんなに嫌いな人でも 「素敵なところ」と「醜いところ」が 必ずあります。そう思います。    
       

 一番大事なことは、たくさんの情報の中から 自分で求め、判断し、選び、決断し 、実行して その責任を自分自身で取る覚悟を決めることでは ないでしょうか?   
 
責任というのは、自分自身だけで決して取れる物ではないとは思いますが、覚悟をすることが 大事だと感じています。 何をやってもいいのです。 
何でも出来るのです。   
自分で枠を 決めているだけなのです。    自分自身で 正しいと思う事 自分自身で責任を取る覚悟を決めれるのなら なんでもOKだと想います。
 誰が正しくて だけが間違っている  と言うことは、はじめからないのです。   
 思いどうりに出来ると言うことです。 

 
 純粋な事は 毒だ!!という方々もいらっしゃいますが、本当にそうでしょうか?
 
こだわらず、 一つやってみるかな!!
 


 

posted by 徳岡邦夫 at 21:14| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月20日

「こころ」とは?

心をもとむるに、了に不可得なり    「シンをもとむるに、ツイにフカトクなり」 「いくら心を探し求めても、ついには得ることは出来ません。」これは、神光という僧が大きな節目になる悟りをされた時の叫びだったそうです。 
 

中国、嵩山の少林寺でダルマさんが面壁の修業をしていた時、入門を志した神光という僧がいました。
朝夕、礼を尽くして懇願するのですが ダルマさんは入門をゆるさなかったそうです。
 
神光はついに膝を没する積雪の中で、自らの左腕を断ち、それをダルマさんの前にさしだして決意の程を示したと言います。
この強烈な神光の求道心を見届けたダルマさんは、初めて入門を許したと言います。
うれし涙の神光は、「弟子、心いまだ安らかず、乞う、師安心せしめよ。」 (私はまだ心中が不安です。どうか安心させてください)と師に助言を求めました。 
するとダルマさんは、「心、持ち来たれ、汝が為に安ぜん。」 (ではその心を出してみなさい。そおしたらお前さんのために安じてあげよう。」 と 返答されて、神光は冒頭の句を 読んだと言われています。
 
神光は、後に少林寺の二祖慧可となったそうです。
 
この言葉より感じることがあります。

 一つ目は、この言葉の「心不可得」の部分は、 修行僧ではなく、普通の人の心をさしてるように思えます。 
 喜怒哀楽に終始する心です。 考えてみれば 同じ心が 昨日は喜んだり悲しんだり、今日は怒ったり楽しんだりしています。 
          

 本当の私の心というのは 何処にあるのでしょう。 「これが私の心です。」という物は一定ではなく、鰻がニュルと手から抜けてしまう様な物だと思います。「人間の心という物は そういう物なのではないでしょうか」というのが一つ感じることです。 
 

二つ目は、とらえどころのない心とは嬉しい心でもなく、悲しい心でもないという、一定の姿、形を持たない心で、これが実は 本当の心であるといえると思います。
 

人間の意識では捕らえられない心です。それが「不可得心」です。 神光がダルマ大師のところへいって「不安な心を治してください。」と言ったとき、ダルマは、「その心を持ってこい!!」と言いました。 
        

「いくら心を探し求めても、ついには得ることは出来ません。」とこういった時 図らずも神光は、「心」とか「愛」、「神」と言う 虚の部分に頼らないで 自分自身で自分の姿を表していたのだと思います。 
  

その事を知り、体験の中から情報を得て、だからどうしたいのかを考え、実行し、責任を取る覚悟をすることが 大切だと感じています。
 
皆様は、どう御考えでしょうか?
 
posted by 徳岡邦夫 at 14:25| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月05日

一流の人間。

「何でも一流品ね!!」と言う言葉を 嵐山店では、お客様から頂戴致します。 「小物にも お金がかかっている〜!!」と言うようにも聞けますが その一流品を作っている方々が一流なのだと思います。
 

目には見えませんが 物の”芯”の部分には、育んだ”人”自身が存在するように思います。
       
情熱や思い、時代を経ている物には、所有者や扱いを任された方の気持も込められている事でしょう。  料理人の情熱、生産者の苦労や大変な生活、建物を作る木材や自然環境、私たちが共に乗客している地球号。 そんな事も感じて頂きたいと思います。

そして、 私共々、スタッフ自身も 一流のおもてなしをできる様「できるできた人」になる為、日々の行動を振り返り、その場その時に、お客様が感動し、極みに涙するような原因を分析し、その瞬間に実行できる環境を作り、結果を出したいです。
 それは、単独にできる事では有りません。
      
 たずさわっている方々の思いが集結しなければ達成できない、もしくはその気持がお客様とも共鳴しないと成し得ない結果だと思います。  共に!!  原因が有るから結果に結びつくのでしょう。  求める結果になる為には、そうなる為の原因を作れば良いのです。  しかし簡単に結果が出ないのは、その原因は、一つではないからです。 森羅万象、今起こっている物事すべての結果は、無数の原因が複雑に絡み合い成り立っているのです。
 無数の原因をクリアーしたその瞬間、結果に結びつくのだと思います。  諦らめた時点でその結果にはなり得ないのでしょう。  それは、絶対です!! 

 

又、桜が咲きます。  そして、「もみじ」の新芽が、 淡い萌黄色に芽吹いた頃 、 「さくら」は、あでやかに舞散っていきます。 この色彩のコントラストの中に、生命の輪廻を感じます。 「雲錦」と言う桜と紅葉のデザイン様式は、そう言う所から生まれたのかもしれません。
       

積み重ねの中に学ぶ所は 数多くあるようです。
 

       僕の前に道はない
        僕の後ろに道はできる ああ自然よ父よ
        僕を一人立ちさせた広大な父よ
        僕から目を離さないで守る事をせよ
        常に父の気魄を僕に充たせよ
        この遠い道程の為に この遠い道程の為に    (高村光太郎)  

   

       俺は姿やさしい花の方へ
       やっぱり気を引かれる
   それを愛してはいかんという事になれば
   俺の生きている意味はどこにある
   俺はたった一度その花を抱いて熱い心臓へ押し付けたい
   たった一度 口と頬に口づけしてこの幸福な苦しい心を注ぎかけたい
   たった一度 その口から愛のこもった言葉がききたい     (ハイネ)

 
 
posted by 徳岡邦夫 at 20:13| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月20日

「春の食卓」

バタバタしており、更新できなくて、ごめんなさい!!
 
ところで、本を出版しました!!
「春の食卓」と言う本です。
posted by 徳岡邦夫 at 22:37| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「碧巌録・八」「關」

 「碧巌録・八」に、 「關」(関、カン)と言う一字の禅語が有ります。 

唐時代の翠巌令参(すいがんれいさん)禅師が、「私は長い間毎日、皆さんの為にいろいろと 説法してきましたが、まだ私の眉毛は有りますか?」と尋ねられました。
  
これは説法を 誤って説いたりすると仏罰がくだり、眉もひげも抜けてしまうと言う経説を借りて、一問を投げかけたのです。
        
これに対して保福従展(ほふくじゅうてん)禅師は、「盗人はやましい気持ちに、落ち着かないのであろう。」(賊となる人、人虚なり)と言い。
 
長慶慧稜(ちょうけいえりょう)禅師は「眉毛は大いに生えているよ。」と答え。
       
最後に雲門文えん(うんもんぶんえん)禅師は、「関」と一言叫んだそうです。 この四禅師は雪峰禅師門下で同窓の為、互いに腹の内まで知り有っていたそうです。
       
翠巌、保福、長慶の三人が相づちを打っているのを見て、雲門は、三人とも同じ穴のムジナだ、賊と賊と賊だ、そんな奴らは、まかり通さないと「関」という関門を設けたと言うことです。
 
仏教の経典の伝達では言葉や文字という物は、ちょうど月を示す時の指に等しい物だと 言われています。
   
言わんとすることは、 指をどれだけ広大しようが また伸ばしてみても決して月にはならないし、言葉もどれほど広げようが深く突き詰めても結局 真理にはたどり着けないと言うことです。
       
それでは言葉というのはどういう意味を持っているかというと 言葉はただ真実を示す、あるいは方向を示すだけの物にしか過ぎないと言うことです。 そうは言っても言葉で真理を 説かなければならないという矛盾があります。 文字や言葉で真実の方向を示していかなければならないのです。
       
禅の世界では、この事に関して 大変苦労を なさっているようです。 先の三人の兄弟弟子の話はこれを 良く表していると思います。 私たちの日常でも 伝えたい思いが有る為に出た言葉が 「嘘」となってしまい「虚、きょ」が「虚」を産み 大事な物と かけ離れた物になったり その為に「虚」を積み重ねていかなければならないのなら その営みや行動、言葉は全て「虚」と言うことになり 何の意味もない物となってしまいそうです。
 
私たちの営みは まさに「虚」なのでしょうか? 「賊となる人、人虚なり」と答える方もいらっしゃるでしょうし、 「眉毛は大いに生えているよ。」と答える方もいらっしゃるでしょう。  「關」、皆さんで考える必要が有るのではないでしょうか? そおして、皆さんが納得するような 「関」(基準)を作りその基準(関)をクリアー出来るように助け合うシステムを 構築、エラボレートする必要が 有ると思います。 
それが、地域の学校ではないでしょうか?

 
posted by 徳岡邦夫 at 22:31| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月15日

「どんど焼き」

「どんど焼き」は7:30に点火しました。 燃えカス無く 綺麗に天高く燃え上がりました。
       
皆さんに 幸 多く在りますように! 晴れやかな青空の中 燃やし始めました。燃やす炎がくるくると舞いすごく綺麗でした。       
信仰心もなく、ただの偶然ですが何か自然の力に 魅せられました。 
       
自然の摂理を信じ(理解し) その中に含まれている人を信じ(理解し)自分を信じて今年も着実に歩んで行こうと私の中に響き渡りました。

藁炭を 門角に盛っておくと厄除けになると言う事で 玄関あたりに 沢山盛っておきました。
門松も一緒に燃やしたのですが門松は、雄松と雌松を対にして飾るのが正式だそうです。

雄松と雌松の飾り方については諸説あるようです。 門外から見て左に雄松、右に雌松との意見が多い様ですね。  ただこれは陰陽和合の考えからすると納得できない所があるように思われます。 古くからの建物の正玄関には南向きが多く、御所や表千家、未生流笹岡家でも同様です。
  
門松は歳神様をお迎えするものですし、歳神様が家内に南面して宿られると考えると(お雛様の右左と同様どちらから見て 左なのかと言う事です。)、玄関の内側の歳神様から見て左(外か見ると右)が太陽ののぼる陽の方角(東)ですから、そちらが雄松となるべきではないでしょうか?
 
人間も自然の一部であり、自然の摂理に沿った学問と考えられている陰陽和合(左=陽=雄、右=陰=雌)の正しい形だと思われます。
 
古文書などに記載されている左右は、本体の左右であり、向かっての左右とは逆転するため、間違えて広がったのかもしれません。 もしくは、お雛様の飾り方も陰 陽和合の京風の飾り方が少なくなり、西洋式の結婚式に感化された関東風の飾り方が、一般的となったように、時代とともに変わっていったのかもしれません。 

ちなみに、葉先がかたくてちくちくと痛いクロマツは、猛々しい雄松に例えら れ、葉先がやわらかくて痛くないアカマツは優しい雌松に例えられます。
 私共では、門が南向きになっており門の外から見て右に雄松を飾る習慣になっています。

posted by 徳岡邦夫 at 20:54| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月13日

松の内。

1/11は、表千家さんの初釜に参加させて頂きました。
お家元が、お客様全員の濃茶を御自分で、すべて点てていただけることが何よりの御馳走でした。
緊張!!
点心席では、お家元はじめ、皆様、気さくにしていただき、緊張と緩和の中に、明日からの活力、意欲を頂きました。
感謝!!
 


元旦の大正月に対して、十五日を小正月と呼びます。        

 
これは満月の日をつき始めとする原初的な暦の名残と言われています。   
この日、三本松と青竹を組み立てて、中に注連縄や門松などの正月飾りを入れて燃やす行事を「どんと」と言い神社や各家々で行われています。  
 
古くは正月遊技に使用された毬杖(ぎちょう)という長柄の槌を青竹と組んで焼いたので、三毬杖とも書くらしいです。
 
「徒然草」には、「さぎちゃうは、諸月の打ちたる毬杖を、真言院より神泉苑へだして、焼きあぐるなり」と書かれています。
 
この火で書き初めを燃やすことを吉書揚げ(きっしょあげ)と言うらしいです。        
その燃えさしが高く舞い上がれば書道が上達すると言い伝えられている様です。        
 
またこの火で焼いたお餅を食べると、病気にかからないと言う言い伝えも在るそうです。   
 

京都吉兆では1/15の7:30から嵐山店に全店の注連縄を集めて 点火してみます。  
       

15年来、私の担当になっており 毎年の商売の運勢を占ってきました。 
 私本人は、全く信じていません。        
 燃えかすが残らぬように綺麗な灰になると運勢が良いらしいのですが今年はどうでしょうね!! 
 
こつは、はじめに綺麗にほぐすところにあります 。       
燃やしているときは隅々まで綺麗に酸素が行き渡っているかを気に掛る事は、もちろん火の粉が舞う原因を状況判断しながら かなり大きな炎になるのでその熱で 周りに支障ない様 水をまきながら遂行することが大事です 。
 
もしかしたら商売と似ているかも・・・ ?     
 
posted by 徳岡邦夫 at 20:13| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする