奈良時代に遣唐使によって中国から渡来した菓餅14種の中にある索餅(さくべい)が、平安時代に完成した『新撰字鏡』 では「牟義縄(むぎなわ)」と呼ばれて、「麦縄(むぎなわ)」が日本の麺類の起源とされる。ただし、麦縄は米と小麦粉を混ぜて作られていた。
やがて鎌倉時代になると、聖一国師など入宋した禅僧らが小麦粉で作る素麺を博多経由で日本に持ち帰って「切麦(きりむぎ)」が誕生した。室町時代には一条兼良の著書「尺素往来」に、「索麺は熱蒸し、截麦は冷濯い」という記述があり、截麦(切麦)がうどんの前身と考える説が最も有力とされる。
奈良時代に遣唐使によって中国から渡来した小麦粉の餡入りの団子菓子「混飩(こんとん)」に起源を求める説もある。
平安時代に弘法大師が唐から饂飩を四国に伝えて讃岐うどんが誕生したという伝説もある。
「うどん」と呼ばれるようになったのは江戸時代に入ってからであり、切麦を暖かくして食べる「温麦」と冷やして食べる「冷麦」は総じてうどんと呼ばれた。
青木正児の「饂飩の歴史」によれば、ワンタンに相当する中国語は「?飩」(コントン)と書き、またこれを「?飩」(ウントン、コントン)とも書き、これが同じ読み方の「温飩」(ウントン)という表記になり、これが「饂飩」(ウドン)となったという。
奥村彪生によれば、うどんは中国から渡来した切り麦(今の冷や麦)が日本で独自に進化したものであるという。奥村によれば、?を加熱して付け汁で食する(うどんの)食べ方は中国には無く、日本の平安時代の文献にあるコントンは肉のあんを小麦の皮で包んだもので、うどんとは別であり、うどんを表現する表記の文献初出は南北朝時代の「ウトム」であるという。