柳緑花紅「やなぎは、みどり。はなは、くれない。」
柳は緑に、花は紅に見える、と当たり前のことを文言にしたのでしょう。
当たり前のことをあるがままに受け入れなさいという事なのでしょうか?
よく考えると、私達は、先入観無しに、あるがままを受け入れることが、出来ないでいませんか?
あるいは、物事を驚くほど、見ていないし、理解していない様に思います。私自身の体験ですが、、、。
子どもを亡くした親にとって、「あるがままの人生」を認めることは、とてもつらいことです。
逆縁の不幸、実際に子どもを失った親にしかわからない辛さです。
その昔、子供を失った親が何とかして、わが子の息を吹き返してくれと、その屍を抱きながら釈尊にすがったそうです。
釈尊在世の当時も、現代も、親の気持ちには変わりないと思います。
釈尊は「子供を生き返らせる薬は、白いケシです。町へ行ってきなさい。ただし、今まで一度も死人を出していない家から譲ってもらってきなさい。」と言ったそうです。
疲れ果てて釈尊のもとに帰ってくると、釈尊は「生まれた者はかならず死ぬのであって、この道理に反するものはだれもいない」と諭されたそうです。
気が動転している所為か、当たり前の道理をありのまま受け入れられないでいたのでしょう。
日ごろの、私達にも、かるはずみな思い込みや、尊敬する方の発言を信用しすぎて、若しくは、愛の本質ではなく、愛と言う言葉に依存しすぎ、ありのままの出来事、ありのままの自分自身を見失っていませんか?
当たり前のことをあるがままに受け入れるという事は、実は、大変難しい事のようです。
人生の中では、大変辛い時期や苦しい場面が必ずあります。辛さや苦しさから逃げ出さないで、現状を把握する事が大切です。
起こっている結果は、全て現実と言う事を受け入れないと、次のアクションには、結び付けられないからです。
勿論、その苦しい時期が、最後ではないのです。
たとえ、自分自身の命が絶えようとも、その思いを次世代に託す事もできます。
良かれと思ったことが、実は、多くの方の犠牲の元、成立している事もあるのです。
私が人の為と思いとった行動は、実は、多くの人を傷つけている事もあるのです。
どうすればよいのでしょうか?
失敗を恐れていては、何も出来なくなってしまいます。
若しくは、失敗を恐れていては、自分の存在価値が、なくなってしまいます。
存在価値がないから自殺するのですか?
存在価値がないから、自分自身が、いなくなっても世の中は、変わらない。だから自殺しよう。ですか?
道理が合いません。考え方の道筋が通っていません。
よ〜く考えてみて下さい。私達は、今、確かに存在しているのです。
その現実は、先ずは、今、大自然のバランスの中、必要とされてるという証です。
大自然の出来事は、ただ起こっているだけなのです。
さくら舞い散る中、萌黄色の新芽が、芽吹いています。
人間はそれを眺め、萌黄と桜色のコントラストを感じ、、、散る=死と芽吹く=生のコントラストの中から、どうしようもない輪廻を感じるのでしょう。
でも、その出来事は、ただ起こっているだけなのです。
善も悪もなくです。
諦めることなく、良く見、良く聞き、良く考えて、現状を把握し、自分自身を見つめ、問いただし、宇宙の中で必要な存在を目指し、自分のスタンスで努力するしかないと思います。
幸せになる事を諦めないで欲しいです。
付け加えると、自分だけを主張すると、その幸せは、長続きしません。
宇宙のバランスを欠くからです。その反動が、必ず帰ってきます。
お気をつけ下さいませ。
