以前、友人の自宅にて 、テーブルマジックショーを見させて頂きました。
不思議・不思議の連続でした。
ショーの後、 マジシャンの方を含め、お酒がすすみいいろいろな話になりました。
そのいろいろな話の中で私が感じた事は、手品には必ず「タネ」が有ると言う事です。
タネ明かしはして頂けなかったのですが、そんな事を思いました。 そして私たちが日常やビジネス、料理の世界でしっかり見ているつもりの物は、本当に事実を見ているのかが分からなくなってきました。
ある一部分だけしか見えていなモノを真実と感じています。
全体を見通す事など不可能なようにも感じます。
それを出来る能力とそこで結論を出せる能力と実行しその後の責任を取ろうとする意志とその事を次の結果に結びつけようとし、出来る事が大事なように思います。
マジックて面白い!!
江戸時代から日本にあったそうですよ!!
「品玉(しなだま)」は、弄玉・支那玉・志な玉・しな玉・品玉、とも呼ばれ、最初は曲芸の綾とりの芸をさしたものだった様です。
それが、江戸中期には手練技の手品「お椀と玉」を指すようになり、それが、江戸中期から後期にかけて、手品の名称として「品玉」と呼ばれるようになったのだそうです。 伏せたお椀の間を、布製の小玉が変幻自在するところに、不思議な面白さがあります。
目にもとまらぬ早さで行きかうお手玉の現象が、「綾とり」の演技を連想させたものと推測されているそうです。
『さて、このたびは三つのお椀と三つのお手玉を使いましての手品でございます。鹿(か)の子のお手玉は扇面の風におくられまして変幻自在、早い手玉や品玉の、品よくかよう綾(あや)だすき、かけて思いの鹿の子玉、あけてくやしき玉手箱、お囃子にのりまして、品玉の手品、まずはお椀のあらためからでございます…』
世界で最も古い奇術の一つといわれ、発祥の地には諸説がありますが東洋(中近東を含む)に起り世界中にひろがったものと考えられています。
日本に伝えられている「お椀と玉」は、インドを源にして中国に伝えられそれが仏教の伝来と相前後して日本に渡ってきたといわれているそうです。
遠く貞観三年(861年)の「三代実録」に弄玉(しなだま)、康平元年(1058年)の「新猿楽記」(1058年)や「看聞御記」の嘉吉元年(1441年)の条に、弄玉の語が記されていると言う事です。
当初は、毬や撥、鎌などを宙へ投げてお手玉のようにする曲取り(綾とり)だったようです。
それが、手品の品玉になったのは、いつ頃であるか、はっきりしませんが、「お椀と玉」を「品玉」と称されるようになったのは、江戸中期に、初めて伝授書に解説されている様です。
明和元年(1764年)の「放下釜(ほうかせん)」。次いで、安政八年(1779年)の「天狗通」です。いづれも、平瀬輔世の著と言う事です。
元来、「お椀と玉」は、大道で莚(むしろ)を敷き、その上で直に演じていました。それが、江戸中期にはお座敷芸と変わっていったのです。「放下釜」の中で「しな玉の術」として、その秘技を詳しく解説されていると言う事です。
どの道も奥が深そうです。 手品の世界を調べているうちに私が感じたことは、 どのジャンルでも、人が遣り甲斐を感じ、競争をし 深めていき 次の時代に伝えようとします。
なぜでしょう? そうしないと人は、生き続けて行く意欲が無くなるからなのでしょうか?
自分自身の存在価値をそこに見出しているのでしょうか?
「神」と言うのは、人間が作り出したものだと考えています。そして神の存在は、人間にとって必要な存在なのだとも感じています。
不思議な世界に入ってしまいました。 目に見えないものは、信じない!必要ない!と言う方もいますが、目に見えない物の中に、共に生きていくために、必要なこともあるように感じています。 神の存在もそうかもしれませんが、人の思いと言うものが、一番大切にしなくてはいけないモノなのではないかと感じ、考えています。 私としては、人に提案するだけではなく、今を一生懸命、自分のスタンスで出来る限りの事を 先入観にとらわねぬ様にしっかり本質を見つめ、皆さんに相談しながら実行していきます。
懸命に生き続けます。
