2006年12月26日

本年も有り難う御座いました。

本年も有り難う御座いました。


今年も、沢山の経験に恵まれ 有意義な悩みを持つ事ができました。

私は何処に向かって走りたいのか?どういう人になりたいのか? しっかりした答えが出た訳でもなく、ただ漠然と「人気者」になりたいと思っております。
       
うわべだけの人気ではなく 皆さんから求められる人、皆さんに利用される能力を持った人と言う事です。
私としましては、今後も 現実と向き合い、本気でぶち当たる事を止めず それを要因として起こる出来事の中から いろいろな目に見えない物事を感じ取っていきたいと思っています。
      
そこには 憎しみも湧き出てくるかも知れませんが 出来るだけフラットで有り続けたいと思っております。
お礼の文章らしくないですが 私なりに最大のお礼の気持ちを込めているつもりです。
 
旧年中は、いろいろ考えさせて頂く機会を与えて頂いて有り難う御座いました。
私からも 今後、HPなどを通して いろいろな提案をしていきたいと思っております。
       
来年も お付合いのほど 宜しく御願いいたします。

 
特に、一次産業関係者、学生君達、ありがとうございました。
 
2002年に放映された「情熱大陸」の番組の中で紹介した 「蕪の丸ごと炭火焼き」の話です。
 
京北町に適した有機栽培方法を用いて作られてた取れたての蕪を生で食べ このままのポテンシャルバランスを増幅させたいと思い、蕪の周りの土ごと持ち帰り井戸水で土に湿り気を与え 芯に蕪の入った土饅頭を作りそれを 炭火に放り込んでみたのです。


それが初めの試みでした。


土の風味が強いので最終的には、蕪に塩をまぶしアルミホイルで風味や香りが損なわないようにくるみ備長炭で蕪を囲い焼きしました。 焼きすぎると柔らかくなりすぎ 旨味や風味を出し切ってしまうのでレーアーな感じで仕上げます。
       
口の中に入れ蕪を噛んだ瞬間に 、旨味や香りが口いっぱいに広がります。


こんな蕪を食べたら 料理してくれた人の事 蕪を作ってくれた人の思い、その環境の風景を、是非思い浮かべようとして頂きたいです。

つじの世代の方々にも、こういう一次産品を 味わって喜びとしてもらいたいですね!


皆様  良いお歳を!!
                                          徳岡邦夫

posted by 徳岡邦夫 at 17:57| コラム

2006年12月16日

作麼生(そもさん)!!

作麼生(そもさん)「いかがですか?どうですか?」 
 
「兜率の三関」として禅宗の世界に恐れられる入門試験があるそうです。 兜率和尚の詰め寄る三つの問いです。 
 
 第一は、禅修行の目的は、只だ自己の本性を見定めることに尽きるのだが、お前さんの本性はこの瞬間どこにあるか見せてみろ。というもので、
 
第二問は、自己の本性さえしっかり掴まえておけば、死の準備は既に完了だが、 お前さんはいよいよ臨終という時、どのように死んでいくか。 
 
また死んでからのお前さんの行く先はどこだ、と言うのが 第三問だそうです。
 
今でも日本中の坐禅道場では、「生死事大、無常迅速、時不待人、慎勿放逸」と書いた板を叩いて朝夕の時を告げることになっています。
 
生死の解決こそは最重要課題である上に、時間がどんどん過ぎて行くばかりで一時も気を緩めては ならないぞ、と言うわけでしょう。 それゆえ禅僧は昔からこの課題に取り組んで修行に励み、悟りを得て立派に人生を生き、そして惜しみなく死んでいったとされています。 
 
では禅僧たちはどういう答えに至ったか。その例を調べてみましょう。 
 
南北朝時代を生きた妙心寺の関山慧玄は、 生涯にただ一語、「慧玄が這裡に生死無し」を残して逝ったと言われています。 
 
江戸時代初期の沢庵和尚は死に臨んで「夢」の一 字を大書し、「百年三万六千日、弥勒観音幾(ほと)んど是非、 是も亦た夢、非も亦た夢、弥勒も夢、観音も亦た夢、仏云わく、応に是の如き観を作すべしと」と添えているそうです。 
 

2つの例ではありますがそうなると、禅宗としていったいどれが正解なのかさっぱり分からないということになるでしょう。
 しかもどの人も 悟りによって生死を超えたと言われている人の死にざまに違いないのだから、どうやら禅僧の死に方には定型パターンというものがないらしい。ということになると、禅宗には定型となる信仰箇条のようなものさえないとなるのでしょう。 

 

要するに禅宗では、いかに生き、いかに死ぬかは各人まかせ、これについては誰も教えてくれないと言うことなのでしょう。
 

多分、正解を知らなくても、良いのでしょう。 正しい生き方、正しい死に方なんて無い訳です。
       

「これまでどう生きてきたのか?」「死を前にしてこれからどう生きたいのか?」と言うことが大切なように思います。
 

健康な方が死を意識して生きていないと思いますが、「どう死ぬか?」と言うことは、「それまでをどう生きるか?」と言うことだと思います。
 「死=無」なのですから。  エネルギー交換の法則と言う考えもありますし、脳死であるとか、どうとも答えが出せない問題もありますが、私自身は、「どう生きるか?」とか「私は、何をしたいのだろう?」と問い掛けながら、少しずつですが歩んでいるつもりです。

 
 実行してしまったことについては、責任を取る覚悟でです。
 
年の暮れ、来年の為に、こういう事も考えても良いかもしれませんね。
 
ただ、付け加えて伝えたいことは、そのような事を考える事や、悟りを開くことに精進するのは、御自身の為だけにですか?


 作麼生(そもさん)!!

 
posted by 徳岡邦夫 at 20:30| コラム

2006年12月15日

近年のまとめ。

ここ十年ぐらい前から、言い続けてきた事をまとめて見ました。 
 
●食事について。
 
正しい食事とは、究極的にはお茶事のような形式的合理化された物であるかも知れません。  然し、それに慣れ親しんでない方々には ワイワイと和気あいあいとするのが楽しいし、思い出にも残る集いで、そういう会では何かが生まれます。


つまり、食事とは、人と人がよりスムーズにコミュニケーションを取り、その環境のバランスをよりよく保つ為に必要な物ではないでしょうか。  その事は、生きて行く為の「核心」でも有ると感じています。  

 

ご自分の所作、言動が、亭主(ホスト、料理を作ってくれた人)の目に触れる事により どの様に亭主に、もしくは同席している皆さんに感じ取られているか。または、自分の思いが伝わっているかを感じ取る事が大切だと思います。
そういう事を気づかっていると、美味しく料理が食べれない、楽しくないとおっしゃる方もいらっしゃいますよね。

 

でも現実、食事時でなくとも、貴方の言動、所作が、他の人に何らかの影響を与え、どういう人かと言う事を感じ取られているのは、事実です。
それは貴方が、感じていなくとも、感じ取られているのです。そのことが、将来にどんなに大きな違いになるかは、世間が、証明していることですね。
       
同じ目線でインタラクティブな情報交換の後、共通の空間・価値観を醸成する事が生きて行く為の基本だと感じています。 また、作法を超えた自己表現やそれを受け入れる柔軟性、包容力が必要なんではないでしょうか。


そのかなたに、共に力強く生きるという事があるのでしょうし、それに向い無心に努力できることが、幸せ感なんだと感じています。

 
茶事であっても、楽しく和気あいあいとした食事会であっても、思い出にも残る集いには、ただ馬鹿騒ぎしているだけではなく、ただおすましているだけでない、人と人の気持のキャッチボールがあり、私は、何か素敵な充実感を感じます。


 ●美味しさとは。

 
「美味しさ」って何かなと考えた時、それは一人一人が体を維持する為や安らぎを得る為等、様々な理由で「欲してる物」なんだと考えています。  食べると言う事は、本来 五感全てを使って、目で見て、触れて、香りを嗅いで、口に入れて味覚で得た情報と、今までの体験や噂などの情報を合わせて感じ、食べても死に至らないかを判断し覚悟する事なのではないでしょうか? 
 

つまり本来の五感とは、危機回避の為に備わっている機能ではないかと考えています。
       
そして、今提案する事は「食べる」って事はエネルギー補充、つまり体内に物を取り込むと言う事ですので、食べる物に対してもう少し熟慮すべきなのでは? というのが私の考えです。  それに加え、人間というのは食べて寝ているだけでは生き続けられない動物だと感じています。
       
それは、精神的安らぎを求めていると言うことではないでしょうか。  その事に加え「美味しさ」と言う感覚を媒体にして、自分の意志を伝えたり他の人の基準に共鳴する事によって親しくなる事があると思います。   

 
つまりその事で そのグループに属しているという安心感に繋がっているのです。それは全ての感覚に共通する特質だと思います。 「美味しさ」はコミュニケーション手段には不可欠な物で、その時代の共通価値観である部分もあるのではないか?と感じています。
 
●五感を鈍らせる情報操作。
 

五感という各センサーで感じ取った情報は各神経群で処理され、重要部分が脳の海馬横の扁桃体に信号化して送られ、「他の信号化情報」と複合され優先順位を決められる様にイメージしています。 しかし、最近その「他の情報」の影響力の方が大きくなっているように思えます。
       
例えば「誰々さんが言ったから!」「TVでやっていたから!。」美味しいんだ。体によいもの。と言う事が起こっているように思います。情報操作です。

 
私が大事と思うことは、たくさんの情報の中から自分で求め、判断し、選び、決断し、実行してその責任を自分自身で取る覚悟を決めることではないでしょうか?
 
責任というのは、自分自身だけで決して取れる物ではないとは思いますが、決意をすることが大事だと想います。
 

また、学ぶ事は大切な事ですが、もっと大切なことは自分自身で感じる事だと思います。 必要な事や欲している事は、懸命な生活の中から必然的に得られる様にも感じています。 そして諦めない事、自分自身を信じる事が全てかも知れませんね。その過程での多くの出会いが楽しいのかも知れません。
 
●料理を科学する。

 
科学すると言う事は一つのロジカルな情報を得る事と考えるのではなく、体感しながらロジカルに考え、工夫し、その事を積み重ねていく事と捉えていただきたいです。
 
沢山の情報の中から決断するために話し合ったり目の前で実験をしてみることが重要で、「美味しさ」を知ると言う事はそういう事だと思います。 そして、食べる事によって生産者の人柄、生産地の風景、料理提供者の想い等を想像し、思いやりを持ってレシーブ出来る力こそが、共に生き続ける為に必要だと感じています。 
 

量、質についてはそれまで各人の育った環境で変わると思います。つまりアメリカ人にはアメリカ人のおいしさが存在し、私達日本人には日本人の味覚に合った美味しさがあると思っています。  もちろん共通点はありますよね。 同じ人間で、生体組成は同じなんですから欲する栄養素は同じ筈です。   ただ比率が違うのではないでしょうか。
       
違う環境で収穫できる栄養比率の違う物を長年食べ、子孫に受け継いで来たのですから 内蔵の仕組みが食べ物に適応している筈ですし、それに伴って外観も変らざるを得ません。  それと環境は温度とも大変関係が深いと思います。

 

その様々な要因によって世の中が出来上がって来ている事をまず知る事が大切だと思います。  また、今は流通が発達して情報のスピード、物流のスピード、変化のスピード等が早くなり地域間の体感距離が短くなった様に思います。 今と昔では、文明が進んだ場所ほど「美味しさの基準」は、変化している筈です。 
 
なぜなら、環境が早いスピードで変ったからです。 その基準を今考え直す事に、意味があると思います。
     

考えて頂きたい。
 
経済が破綻しても、人間は何とか生きていけます。
自給自足や、物々交換をしていけばよいのです。
 
しかし、食の世界が、破綻すれば、どうやって生きていくのでしょうか?
ケミカルなサプリメントを食べて生きていくのですか???
 
そして、食の世界を支える自然環境が破綻したらどうなるのでしょうか?????
 
水が飲めなくなります。空気がすえなくなるのですよ!
即死じゃないですか!!!!!
 
それでよいのでしょうか?
 
一次産業の次の担い手がいなくなったら、自給率が、ますます下がります。
他の国に、食料を依存しなければいけなくなります。
 
自給率”0”になれば、他国から100円で買っていたバナナは、10000円でも変えなくなるかもしれません。他の国の命令を聞かなければ、食料を与えてもらえない国になるかもしれません。
 
それでよいのでしょうか?????
 
ルールを整備していくことや、一次産業者の税制を考える事など、いろいろな手段を講じなければいけませんが、一番大切な事は、皆さん一人ひとりの食に対する意識を高めることだと考えています。
 
皆様、このままでよいのでしょうか!!!
 
posted by 徳岡邦夫 at 20:47| コラム

2006年12月14日

クリスマス

クリスマスの語源は、ラテン語「クリストゥス・ミサ」の略で、Christ(キリスト)+mas(礼拝)を意味するとされています。
 XmasはX(ギリシャ語で「Xristos」の頭文字)+mas(礼拝)。
       
Xristos(クリストス)は「油を注がれた者」という意味で、「救世主」「キリスト」を意味するそうです。 クリスマスの由来は諸説ありますが、古代ローマで冬至の日に行われていた「太陽神の誕生祭」や「農耕神への収穫祭」が、後にイエス・キリストの生誕祭と結びつき、クリスマスになったといわれています。


 当時のローマでは、太陽神を崇拝する異教が大きな力を持ち、12月25日を太陽神を祭る祝祭日としていたそうです。 そこで、初代キリスト教の指導者達が、異教徒との対立や摩擦を生むことなく異教徒にキリスト教を広めるために、12月25日はクリスマスとされたそうです。


 すりより作戦です。 根本的な理念で、12月25日に設定されたのではなく、普及さすために違う理念を持つ異教徒に擦り寄る為に12月25日と決められたのです。 だだ引きです!!


今や、日本では、そんなうんちくなど関係なく、幸せなカップルぶりを見せびらかし、幸せ度を他の人たちと比較しあう日になった様です。つまりは、 わたしは、こんなに幸せなんですという事を見せびらかす日になったように感じます。

 
飾りつけ。プレゼント。高級レストラン。高級ホテル。 二人のためだけではなく、その後、他の人に、自慢できるものが良いみたいです。そのせいか、ブランド品は、日本だけで、飛ぶように売れています。ブランド品と言うのは、そういう効果もあるのです。


 そういう事も確かに 幸せと思えるのも私も理解できます。が、幸せについて少し考えてはいかがでしょうか?
 

私も何をしたいのかを常に考えます。  最近思うのは、幸せとは、一生懸命できる、モトイ!夢中で出来る事があること!そのことが皆に認められる事。 (あなたを一生懸命愛しています。と あなたに夢中です。との違い。) そして、その皆に認められ夢中で出来る事を、持続できる事ではないでしょうか?
       
その環境に居て、夢中ですることが、皆さんの為に役立ち、皆さんから求められ、継続可能になることです。 必要とされることは、継続します。必要でないのもは、淘汰されるからです。
 皆さんの考えは、どうでしょうか?  もっと、感覚的なものなんでしょうか?
私が、仲のいいカップルを見てひがんでいるだけでした。
   
表現する事は、難しいです。        
伝える、相手が変わると、伝える方法が違いますし、伝えたいことも、変わります。 
言葉、単語、文章その中に含まれている 人の気持ちを汲み取る事も大変難しいです。大半は、理解したと錯覚しているのでしょう。 


間違ってはいないにしろ、表現された物を100%理解する事は、ありえないことなのです。 伝わった気持ちになっているだけ、理解したと錯覚しているだけなんでしょう。 ただ、それでよいのでしょう。 バランスが取れていれば良いのです。  

 

お客様の「おいしかったよ!」という言葉は、本当なのか?        
どのくらい美味しかったのでしょうか?
どこと比べて美味しかったのでしょうか? 

案外私は、神経質な臆病者のだと気付きました。 
又おいでいただいているのだから良しとしましょう。   

     
好調で 幸せな時ほど、その後の事を考えてしまいます。 
考え抜いた物事は、わかりやすく表現できると思います。 
私は、まだまだ、修行が足りないという事でしょう。 

 
常に、問題意識を持っていると、ふとした瞬間に、解決する事があります。 

悟りとは、そういうものなのでしょう。
       
または、一度悟る事より、常に高く意識を持ち続ける事が大切なのでしょう。  
その事を、環境の整った禅寺ではなく、実働社会で解決していかなくては、いけません。

大変な世の中です。 
ですが、だからこそ、やりがいがあると感じています。 

 
くにお!ファイト!!        
 
posted by 徳岡邦夫 at 17:58| コラム

2006年12月07日

「食と教育を考える」

京都大学コンソーシアムの学生さんたちとお話している中で、下記のような企画が、実現することになりました。皆さんも参加下さいね。
その企画書を紹介します。


企画書
WORKSHOPたい夢 Third!!

文責:西野毅朗 森本英督
作成者:森本英督

 
(1)今回のテーマ:「食と教育を考える」〜これから親となる若者へのメッセージ〜
 

(2)企画経緯:
日本には様々な課題が存在する。外交、財政、福祉、環境…。多くの問題が企画者の中にも思い浮かんだ。しかし、京都高級料亭吉兆の総料理長である徳岡邦夫氏とお話するまで、私たちが気付かなかった大きな課題に気付かされた。それは食に対する課題である。
 日本の抱える問題として「食」を第一に挙げる学生は、ほとんどいないだろう。しかし、「食」の問題(食生活、自給率、食育等)は想像以上に重要であり、考えておかなければならない事柄である。これから親となり、子を育てる立場となる学生にはなおさらであると考える。次世代へ「食」の重要性を伝えていくのは他ならぬ私たちであるからだ。
そう考えた企画者(西野毅朗、森本英督)は今回の企画を通して、食への課題に対して、広く学生に考えてもらいたいと考え、企画立案に至った。

 

(3)達成目標:
「日本における食に対する問題」(食育・自給率・食生活等)をより多くの参加者に発見してもらったり、食に接する際に少しでもそのようなことを考えてもらえるようにすること。これから親となり子供を育てる世代(私達学生)に、特に食育について、考えてもらえるようにすること。

 
(4)主催:学生団体『縁counter』
 
(5)共催:京都市教育委員会
 
(6)場所: 京都市総合教育センター
 
(7)日時:2006年12月13日(水)19:30〜21:30
 

(8)ゲスト:門川大作氏(京都市教育委員会 委員長)
       本間正人氏(NPO法人日本学習学協会 理事)
       乾 明紀氏(大学コンソーシアム京都 総括主幹 「たい夢」後見人)
               徳岡邦夫氏(京都吉兆 総料理長)

 

(9)内容:
1. 自己紹介をグループ内で行なう←自己紹介の中で「食に対する思い出」(給食・おふくろの味etc…)を語ってもらう。<15分>

2. グループワーク 〜日本の食についての問題(仮名)〜 でブレスト<20分>
3. ゲストによるパネルディスカッション 〜食と教育〜<60分>
4. 懇親会
 
(10)参加費:100円(予定)
 

(11)学生団体『縁counter』
 学生団体『縁counter』は、人と人との出会いが大きな刺激となり、学生一人ひとりの可能性を大きく拡げると信じ、様々な「出会いの場」の創造をその活動方針としています。ただ単に出会いの場を創造するだけでなく、学生に考えて欲しいテーマを毎回設定し、共に考え、共に学ぶ、刺激受発信の場の創造を心がけています。具体的にはワークショップ「たい夢」を3ヶ月に1回のペースで企画しております。


第1回は今年6月に同志社大学で行われました。「自分、他人、将来」というテーマをもとに、らーのろじー株式会社代表取締役の本間正人氏、人事コンサルタントの櫻井照士氏やコンソーシアム京都の乾明紀氏をお招きしてワークショップを開催した次第です。
第2回は今年9月に同じく同志社大学で「大学Link社会〜学生と社会人の差はなに?〜」をテーマにワークショップを行いました。ゲストには第一回に引き続き、本間正人氏と、参議院議員福山哲郎氏をお招きしました。
毎回60名近い学生(大学、学部、回生は様々)が集まり、熱い会が開かれています。この場をきっかけにして、「自分を反省することが出来た」「前進できそうだ」「インターンシップをはじめることにした」「政治家に対する意識が変わった」といった意見もいただき、それなりの効果を革新しております。
今後も、出会いと刺激を享受できる場の創造に、私達『縁counter』は注力して参ります。

総合マネージャー:西野毅朗(同志社大学政策学部2回生)
総合アシスタントマネージャー:森本英督(同志社大学商学部2回生)
外部顧問:乾明紀(大学コンソーシアム京都 総括主幹)

他、メンバー4名
 
 
開場で、お会いしましょう!!


 

posted by 徳岡邦夫 at 17:57| コラム