ここ十年ぐらい前から、言い続けてきた事をまとめて見ました。
●食事について。
正しい食事とは、究極的にはお茶事のような形式的合理化された物であるかも知れません。 然し、それに慣れ親しんでない方々には ワイワイと和気あいあいとするのが楽しいし、思い出にも残る集いで、そういう会では何かが生まれます。
つまり、食事とは、人と人がよりスムーズにコミュニケーションを取り、その環境のバランスをよりよく保つ為に必要な物ではないでしょうか。 その事は、生きて行く為の「核心」でも有ると感じています。
ご自分の所作、言動が、亭主(ホスト、料理を作ってくれた人)の目に触れる事により どの様に亭主に、もしくは同席している皆さんに感じ取られているか。または、自分の思いが伝わっているかを感じ取る事が大切だと思います。
そういう事を気づかっていると、美味しく料理が食べれない、楽しくないとおっしゃる方もいらっしゃいますよね。
でも現実、食事時でなくとも、貴方の言動、所作が、他の人に何らかの影響を与え、どういう人かと言う事を感じ取られているのは、事実です。
それは貴方が、感じていなくとも、感じ取られているのです。そのことが、将来にどんなに大きな違いになるかは、世間が、証明していることですね。
同じ目線でインタラクティブな情報交換の後、共通の空間・価値観を醸成する事が生きて行く為の基本だと感じています。 また、作法を超えた自己表現やそれを受け入れる柔軟性、包容力が必要なんではないでしょうか。
そのかなたに、共に力強く生きるという事があるのでしょうし、それに向い無心に努力できることが、幸せ感なんだと感じています。
茶事であっても、楽しく和気あいあいとした食事会であっても、思い出にも残る集いには、ただ馬鹿騒ぎしているだけではなく、ただおすましているだけでない、人と人の気持のキャッチボールがあり、私は、何か素敵な充実感を感じます。
●美味しさとは。
「美味しさ」って何かなと考えた時、それは一人一人が体を維持する為や安らぎを得る為等、様々な理由で「欲してる物」なんだと考えています。 食べると言う事は、本来 五感全てを使って、目で見て、触れて、香りを嗅いで、口に入れて味覚で得た情報と、今までの体験や噂などの情報を合わせて感じ、食べても死に至らないかを判断し覚悟する事なのではないでしょうか?
つまり本来の五感とは、危機回避の為に備わっている機能ではないかと考えています。
そして、今提案する事は「食べる」って事はエネルギー補充、つまり体内に物を取り込むと言う事ですので、食べる物に対してもう少し熟慮すべきなのでは? というのが私の考えです。 それに加え、人間というのは食べて寝ているだけでは生き続けられない動物だと感じています。
それは、精神的安らぎを求めていると言うことではないでしょうか。 その事に加え「美味しさ」と言う感覚を媒体にして、自分の意志を伝えたり他の人の基準に共鳴する事によって親しくなる事があると思います。
つまりその事で そのグループに属しているという安心感に繋がっているのです。それは全ての感覚に共通する特質だと思います。 「美味しさ」はコミュニケーション手段には不可欠な物で、その時代の共通価値観である部分もあるのではないか?と感じています。
●五感を鈍らせる情報操作。
五感という各センサーで感じ取った情報は各神経群で処理され、重要部分が脳の海馬横の扁桃体に信号化して送られ、「他の信号化情報」と複合され優先順位を決められる様にイメージしています。 しかし、最近その「他の情報」の影響力の方が大きくなっているように思えます。
例えば「誰々さんが言ったから!」「TVでやっていたから!。」美味しいんだ。体によいもの。と言う事が起こっているように思います。情報操作です。
私が大事と思うことは、たくさんの情報の中から自分で求め、判断し、選び、決断し、実行してその責任を自分自身で取る覚悟を決めることではないでしょうか?
責任というのは、自分自身だけで決して取れる物ではないとは思いますが、決意をすることが大事だと想います。
また、学ぶ事は大切な事ですが、もっと大切なことは自分自身で感じる事だと思います。 必要な事や欲している事は、懸命な生活の中から必然的に得られる様にも感じています。 そして諦めない事、自分自身を信じる事が全てかも知れませんね。その過程での多くの出会いが楽しいのかも知れません。
●料理を科学する。
科学すると言う事は一つのロジカルな情報を得る事と考えるのではなく、体感しながらロジカルに考え、工夫し、その事を積み重ねていく事と捉えていただきたいです。
沢山の情報の中から決断するために話し合ったり目の前で実験をしてみることが重要で、「美味しさ」を知ると言う事はそういう事だと思います。 そして、食べる事によって生産者の人柄、生産地の風景、料理提供者の想い等を想像し、思いやりを持ってレシーブ出来る力こそが、共に生き続ける為に必要だと感じています。
量、質についてはそれまで各人の育った環境で変わると思います。つまりアメリカ人にはアメリカ人のおいしさが存在し、私達日本人には日本人の味覚に合った美味しさがあると思っています。 もちろん共通点はありますよね。 同じ人間で、生体組成は同じなんですから欲する栄養素は同じ筈です。 ただ比率が違うのではないでしょうか。
違う環境で収穫できる栄養比率の違う物を長年食べ、子孫に受け継いで来たのですから 内蔵の仕組みが食べ物に適応している筈ですし、それに伴って外観も変らざるを得ません。 それと環境は温度とも大変関係が深いと思います。
その様々な要因によって世の中が出来上がって来ている事をまず知る事が大切だと思います。 また、今は流通が発達して情報のスピード、物流のスピード、変化のスピード等が早くなり地域間の体感距離が短くなった様に思います。 今と昔では、文明が進んだ場所ほど「美味しさの基準」は、変化している筈です。
なぜなら、環境が早いスピードで変ったからです。 その基準を今考え直す事に、意味があると思います。
考えて頂きたい。
経済が破綻しても、人間は何とか生きていけます。
自給自足や、物々交換をしていけばよいのです。
しかし、食の世界が、破綻すれば、どうやって生きていくのでしょうか?
ケミカルなサプリメントを食べて生きていくのですか???
そして、食の世界を支える自然環境が破綻したらどうなるのでしょうか?????
水が飲めなくなります。空気がすえなくなるのですよ!
即死じゃないですか!!!!!
それでよいのでしょうか?
一次産業の次の担い手がいなくなったら、自給率が、ますます下がります。
他の国に、食料を依存しなければいけなくなります。
自給率”0”になれば、他国から100円で買っていたバナナは、10000円でも変えなくなるかもしれません。他の国の命令を聞かなければ、食料を与えてもらえない国になるかもしれません。
それでよいのでしょうか?????
ルールを整備していくことや、一次産業者の税制を考える事など、いろいろな手段を講じなければいけませんが、一番大切な事は、皆さん一人ひとりの食に対する意識を高めることだと考えています。
皆様、このままでよいのでしょうか!!!