2006年08月31日

出会い。

初めて出会ったころは何の感情も生まれてこなかった生き物やモノでも、接触を繰り返しているうちに、いつのまにかその生き物やモノを好きになってしまうことが あります。


人間で言いますと相手の人格や家庭環境、地位などを一切知らなくても、単に何度も会う、声を聞く、顔を見るだけでその人に対して好意的な感情が生まれます。

こういった現象を「単純接触の原理」と言うそうです。 
 
友人関係が成立したきっかけを聞いてみますと、学校の入学式や社会人での勉強会・研究会でたまたま隣に座ったのが縁で、という答えが返ってくることがあります。  また、テレビコマーシャル放映もこの原理ですね。 実際には商品の品質や企業 の優良性が保証されるのではなく、商品やサービスの説明、企業への親しみやすさを持っていただくことが目的となります。
 

この「単純接触の原理」は実際のところ会えば会うほど必ず相手が好印象を持 ってくれるとは限りません。 この原理が成り立つのは第一印象が肯定的か中立的の時だそうです。 ですから初対面に否定的な印象を持たれてしまったら逆に 会えば会うほど嫌われてしまう可能性があるわけです。 
相手と親しくなれるかどうかの決め手は第一印象が大きく作用するわけですね。

第一印象を左右する、一番は、表情だと思います。
笑顔でいる事は、自分自身の人生にとって幸せになるためになくてはならない条件である様に思います。又、その笑顔が、他の方の笑顔にもつながり、相乗効果を生むことになりそうです。
 
第一条件が良いだけでも継続は、ないのでしょう。定期的な接触が大切だと思います。
お世話になった人だけでなく、少し距離のできた人にもパワフ ルにたくさんの方々にどんどん接触をして、より良い関係が広がっていくと良いですね!!
 
posted by 徳岡邦夫 at 11:02| コラム

2006年08月22日

就職インターン制度

京都大学コンソーシアムのインターン制度で私共に研修に来ていた学生の最終学習日でした。
私共には、5名の学生が、8/7〜8/22までの間、研修に来ていました。

 

「就職するとはどういう事か?」と言う事をテーマに、研修を受けていただきました。
私共の仕事の中でも、あえて、きつく厳しい仕事を手伝ってもらいました。
その中には、農業体験も含まれます。

 

討論会も入れてみました。「危機管理」についてです。
企業の危機とご自分自身のクライシスの違い。実は同じです。無くなってしまうことが、最大の危機なのです。

自分自身で危機管理意識を啓発し続けるのではなく、友だち、同僚、先輩後輩、他の部署の方々とのコミュニケーションでそのモチベーションを維持していく方法などについても語らいます。
 

「やりがい」と言うものの掴み方。
「やりがい」は、特定の職場にあるのもではないという事です。
何も無いところから、自分自身で、積み上げ作り出すものなのです。
楽をして得る事の出来ないのが、「やりがい」であったり、「幸せ」と言うものです。
ただ単に、辛い思いをするだけでも、だめです。
現場に行って、やりがいを感じて仕事する先輩方を見て、自分自身で体感してください。
みなさんは、今は、まだまだダメな存在です。
しかし、絶対諦めないでください。
皆さんには、可能性と言う才能があるのです。
赤ちゃんの時から諦めず、努力した結果、思うところに移動できます。
自分の思いを伝えることも出来ます。これは、努力した成果であり、才能があるという証なのです。

就職先選びは、やりがいをもって働いている方々が、たくさんいる職場なら、どこを選ばれても良いと思います。
楽をして、大金だけを掴もうとする方々は、大変申し訳ないですが、存続を維持できなくなり社会から退場して頂く事になるでしょう。
幸せの定義を、どのように考えるかで、ずいぶん違ってくると思います。

将来の地球を一人ひとりが、背負っているのですから、がんばれ!!研修生5名にエールを送りたいです。

職種ではないし、報酬でも無い様に思います。
ただ、今の一次産業は、健全であってほしいし、そこにやりがいを見出せるような環境を作らなければ、特に日本の将来は無いでしょう。

 
posted by 徳岡邦夫 at 20:47| コラム

2006年08月19日

幸せ?

自分自身も含むみんなの気持ちが一緒に成る事が 俺の一番の幸せ!
そう感じた時、涙が止まらない。

バタバタしている中で、気付きました。
posted by 徳岡邦夫 at 11:23| コラム

2006年08月18日

禅語。

「庭前柏樹子」という禅語があります。
       
無門関という書物に載っている禅語で、趙州と禅僧とのやり取りから由来し、そのいくつかある解釈の1つを、表現してみます。
        
偉いお坊さに、後に偉くなるお坊さんが訪ねました。

 
「悟りとは、何ですか?」 


偉いお坊さんは、「ていぜんの、はくじゅし」と答えました。 「あそこの庭に生えている柏の樹の様な物です。」という意味です。
つまり 「貴方は、あそこに生えている柏の樹が何に見えますか?」 
柏の樹は、柏の樹にしか 見えません。

その事が 大事なのです。
       
色眼鏡を知らぬ間にかけて、物事を見ていませんか?
本質を見ることが大事なのです。
柏の樹なんて私の庭には、もしくは私の周りには無いぞ!! 
この禅語は もっと違う意味があるんだ!! 
なんて言っていても ピントはずれなのでは無いでしょうか?
        
悟りとは、先入観無く ありのままを 見る努力をしその結果を 相対的に考えて実行できることですよ!」と 偉いお坊さんは、 言っているのだと思います。
そしてその意をくんで実行したから 聞いたお坊さんは、後々偉くなったのではないでしょうか?
               
お坊さんは、「庭前柏樹子」と言うように回りくどく言いますよね でもこれは正解だと思います。
実際 自分の気持ちは、夫婦であろうが親子であろうが しっかりと把握する事なんて不可能です。 
言葉にすると頭で思っていることが違って出ていくように 感じることは 在りませんか? 
言葉にすることは難しく、それを聞いたり読んだりする人によって、とらえ方が違ってきます。
ですから自分自身の体験は、自分自身にしか解らないのです。 
でも何とかして伝えたい。それが、こういう何となく伝える手法を使われるようになったきっかけでは無いでしょうか?
        
ですから 言葉の意味を見出すことより、その人の置かれている環境を 察知しようとすることの方が大事なのかも知れませんね!!
  

別の方は、下記の様にも捉えたそうです。      
「庭前柏樹子」とは何ですかと聞かれ、あるお坊さんは「庭前柏樹子」とは「ただの言葉だよ」
見よう見ようと思えば見えない。 

そういうときは、目をつぶりなさい真っ暗な闇が永遠に広がるだろう。
永遠に広がる真っ暗な闇の中で、貴方は、自由な発想が出来るのです。
そのとおり!! 皆さんの可能性は、 無限なんだ。

言葉にとらわれず思うようにやりなさい。と表現する人もいいます。 
映画「マトリックス」の世界ですね。


私も全ての方に、可能性が在ると思います。

ですが、ただただ、自由という言うわけではなく、そこには、ルールがあると思います。
バランスをとるという事です。ギブアンドテイクの関係が、継続可能な環境を作るという事です。       
つまり皆さんのお役に立つことが、淘汰されない方法だという事です。  

 
それが 宇宙の摂理だと思います。それは、これからどんな世の中になろうとも、その環境でバランスを崩す物は、淘汰されていくと言う事を意味するのです。 
 
今は、バランスが大変崩れている状態です。 その反動が来て当たり前なのです。

我々で、バランスを元に戻す社会貢献を、しょうでは在りませんか!! 
        
「お役に立っている」と言うことは、ギブアンドテイクの環境、バランスが整っていると言うことだと思います。  へつらうこと、こびることでは 無いと思います。 
        
たとえば 利便性の追求は、皆さんの求めている物とされていますが ほんとにそうでしょうか? 
利便性の激追求の為に、感性や生きる力が皆さん鈍ってきています。
そしてその退化しつつある事は 皆さん自身が うすうす感じていることなのです。
        
そして存在する物全て 意味があると思います。
お役に立っているから 存在するわけです。
お役に立つという意味を もう少し考えてみては如何でしょうか?
きっと、貴方の将来の糧となると思います。
後、淘汰の意味を考えても 面白いかも!
ただ考えすぎて 先入観の 固まりに成らないでくださいね。 
       
アインシュタインでは無いけれど、物事は相対的に、ただ起こっているだけなのです。
良いも悪いも無くです。 
       
物事には 原因と結果が 必ず在ります。
どちらか 片っ方だけと言うことは あり得ません。 
それと 1つの原因は 複数の結果に結びつき、反対に1つの結果は、複数の原因より成りたっています。
自分自身が思う良い結果が ほしければ良い結果に結びつく 原因を沢山あきらめることなくクリアーしなくては、結果にたどり着けないと言うことに成りますね? 何か伝わりましたでしょうか?
       
HPとは、こういう事を伝える道具では無いのかも!
すいません。。。私が、未熟なだけですね!これからも精進していきたいと思います。 

 
posted by 徳岡邦夫 at 21:53| コラム

2006年08月16日

大文字。

8月16日午後8時から、京都の山々に「大」「妙法」の字や鳥居、船を形どった火が次々に点火されます。
 精霊送りの意味を持つ盆行事の一つです。 京都三大祭(葵祭・祇園祭・時代祭)に大文字五山送り火を加え、京都四大行事とおっしゃる方もいるようです。 

 

江戸時代後期には「い」(市原野)、「一」(鳴滝)、「竹の先に鈴」(西山)、「蛇」(北嵯峨)、「長刀」(観音寺村)などの字形もあった様ですが早く途絶えたといわれています。
 

最も有名な「大文字」は、京都市東部、東山三十六峰に属する如意ヶ嶽の支峰・大文字山にあります。 大文字は五山送り火に、二山あり、左大文字との対比で右大文字と呼ばれています。


 東山如意ヶ嶽の「大文字」の起源は、平安初期、創始者は弘法大師(空海) かつて大文字山麓の寺院・浄土寺が大火に見舞われた際に、本尊・阿弥陀佛が山上に飛翔して光明を放ったそうです。この光明を真似て実施した火を用いる儀式を弘法大師が大の字形に改めたと聞いております。


 また、室町中期には、足利義政室町時代・延徳元年(1489年)、足利義政が近江の合戦で死亡した実子・義尚の冥福を祈るために、行われ大の字形は山の斜面に白布を添え付け、その様子を銀閣寺から相国寺の僧侶・横川景三が眺め定めたと言う事もつたわっています。 

 
又、江戸初期には、創始者は近衛信尹(のぶただ) 寛文2年(1662)に刊行された「案内者」に「大文字は三みやく院殿(近衛信尹)の筆画にて」との記述もあるようです。       
近衛信尹は本阿弥光悦、松花堂昭乗とともに当代の3筆といわれた能書家でした。 
 所在地は、京都市左京区浄土寺七廻り町1 火床数は、75基。点火資材は、薪600束・松葉100束・麦藁100束。 大きさは、一画80m、二画160m、三画120m。 点火時間は、午後8時 です。
 

 松ヶ崎の妙法は「妙」「法」二文字で構成されています。 二山二字形ですが、合わせて一山一字形と扱われています。
 

妙は松ヶ崎西山(万灯籠山)、法は松ヶ崎山(大黒天山)に各々あります。 両者共に京都市北東部・北山通りに面しており、アクセスは容易です。 
       

日の入山は、妙・全面禁止、法・入山自由と言う事になっています。 

起源は、「妙」は鎌倉時代末期に、日蓮宗の僧日像が妙の字を書き点火したのが起源ともされ、「法」は近世初期に始まったと伝えられています。
 所在地は、京都市左京区松ヶ崎西山(妙)、同東山(法)。 火床数は、103基(妙)、63基(法)。 
 点火資材は、薪400束・松葉170束。 大きさは、「妙」は縦横の最長約100m。「法」は縦横の最長約70mです。 点火時間は、午後8時10分です。
 京都地方簡易保険局屋上からの合図によって点火が行われるようです。点火終了の午後9時ごろから、桶泉寺で、題目踊・さし踊が催されます。 

 

船形万燈籠送り火は、京都市北東部・西賀茂の明見山にあります。近辺には田畑が残っているところです。
 起源は、西方寺の開祖慈覚大師が847年、唐留学の帰路、暴風雨にあった時、南無阿弥陀仏を唱え、無事帰国できたことから、その船を型どって送り火を始めたとも伝えられている様です。 所在地は、市北区西賀茂船山。 火床数は、79基。点火資材は、薪400束・松葉130束。 
大きさは、縦約130m、横約200m。 点火時間は、午後8時15分です。 西方寺で鳴らす鐘を合図に点火し送り火終了後、西方寺六斎念仏が行われるようです。
 

左大文字送り火は、京都市西部、大北山にあります。 字形は右大文字と酷似していますが、規模から点火手法に至るまですべての面で異なってます。 西大路通り・わら天神交差点を北に越えると視野に入ります。一般観光客の入山は全面禁止です。
 起源は、1662年刊行の「案内者」に記述はないことから、大文字、妙法、船形の3山より遅れて登場したと考えられています。 
 大の字に一画加えて「天」とした時代もあったようです。  所在地は、京都市北区大北山鏡石町1-1 火床数は、53基。 左大文字は、岩石が多くて火床が掘りにくいため、以前は全部かがり火を燃やしていた様ですが、現在は斜面に栗石をコンクリートで固めて火床をつくっています。 
点火資材は、薪350束・護摩木3000本。 大きさは、一画48m、二画68m、三画59m。 点火時間は、午後8時15分 です。

 

鳥居形松明送り火は、京都市西部・北嵯峨の水尾山(曼荼羅山)にあります。嵐山・広沢池の近郊にあり、市内で見える場所は限定されます。山麓へは新丸太町通りを西に向かった後、清滝方面へ北上したところにあります。  薪を井桁に組まずに、薪を合わせた松明を燭台に乗せます。 その手法は素朴ながら、五山の中で最も美しいとおもいます。
 起源は、弘法大師が石仏千体を刻み、その開眼供養を営んだ時に点火されたとも伝えられています。鳥居の形から、愛宕神社との関係も考えられている様です。
 所在地は、京都市右京区嵯峨鳥居本一華表町。 火床数は、108基。 点火資材は、薪108束。大きさは、縦76m、横72m。 
点火時間は、午後8時20分です。 親火の所で松明に火を移し、一斉に松明をもって走り各火床に突立てられる方法を取られており、あらかじめ各火床に点火準備されていないところが、ほかの四山と異なっています。
 

それぞれの井桁は樹齢40年から50年の松(松割り)を使って組み上げ、すき間には丹念に松葉を埋め込みます。 配分される松割りの数は火床の位置、年度によって異なります。
通常は3、4束、50本前後の松割りを用いる様です。護摩木は点火後に投入します。井桁の高さは約1.3mで、点火後の炎は数メートルに達する様です。 大の字形は火床75基で構成されていますが、字形の中心部を特に金尾(かなわ)と呼び、4基の火床から出来ています。 字形の頂点も字頭(じがしら)と呼ばれ、2基の火床で構成されています。
その為に力強い感じがするようです。
 
火床はひし形に削った大谷石で、土中に埋め込まれています。  かつては燃え切った松割りの消炭を粉末状に砕き、病封じとして服用する習慣があった様です。
 

現在は家庭の魔除け・厄除けとして利用されています。  銀閣寺界隈の旧家の軒先には半紙で包んだ消炭が吊されているのをよく見かけます。
        へぇ、へぇ、へぇ、へぇ、へぇ、へぇ〜。 
     

posted by 徳岡邦夫 at 17:50| コラム

2006年08月13日

お墓参り。

昨日、親族が集まり、恒例のお墓まいりに行って来ました。
 
湯木貞一の子供、孫、ひ孫が集まり、先祖の墓、湯木家の墓、湯木家とゆかりの墓などを、たわしでゴシゴシ磨き上げ、草抜きし、お花、お線香、はすの葉にお菓子、お酒をお供えし、お経を読み上げます。 私たち孫の思い出として、物心のつく小学校ぐらいから続いている行事です。

従兄弟同士が、歳が近いので、お墓参りの時よく一緒に遊んだ事をおぼえているからでしょう。お墓参り自体は、その前から続いているのですから。


お参り 後、皆で、ロイヤル吉兆さんで食事でした。食事の際には、湯木貞一を偲び、昭和10年頃から昭和40年ごろまでの話が次から次へと語られました。特に、東京の叔母は、実際当時の店の手伝いをしていましたので、面白い話や湯木貞一の交友関係など、日ごろ聞けない話をたくさん聞かせてもらえました。  当時の生活の話から、生きる為の必死さ。それゆえの純粋で素朴なところ。を感じました。  

又、泥棒と間違われない為の日常からの意識の持ち方(他からの意識)。 人に対しての思い、伝え方。全て、繊細に意識し、懸命に突き進んできたから、今日がある事を 再確認いたしました。


お墓参りと言う習慣は、親族が集まることに意味があるように思います。直接会ってお話しするという事は、たくさんの情報を交信できます。そこで、勇気をもらったり、信用を再確認できたりするのだと思います。
 
地域の習慣として、「地蔵盆」と言う 仏教に由来した夏の行事が有ります。 その昔、大津の三井寺に、常照というお坊さんがおられ、その方はお坊さんであるにもかかわらず、地獄に落とされたそうです。
反省、精進する日々、目の前にお地蔵様が現れ、「幼少の頃の精進に免じて、もう一度人間界に戻してやろう。そして、世のため人のために役立つ人間になりなさい。」と生き返らせたと言う事です。 その事を 町衆の親子に説いて廻り、生還した8/24には、お地蔵様を祀る「地蔵盆」が行われるようになったと言う事です。
    
その風習が受け継がれ、毎年のこの日近辺には、各町内ごとにお地蔵様の顔をきれいにお化粧し、お供え物をあげ、その町内の子供たちの名前を書いた提灯を吊り下げて、お地蔵様をお祭りする様になったらしいです。
 
今でも嵐山界隈では、 お地蔵様の前で、子供達が一緒になっておやつをもらって遊でいます。 私の小さな頃には 野外映画や 福引きや金魚すくい、紙芝居もありました。
2日目の夕方そろそろ片づけが始まり、提灯がふたたび自分の手元に帰ってくるまで、本当によく遊び、よくはしゃぎ、みんな一緒になっておしゃべりをしました。
 
現在、地域によっては、いわゆる“地元の子”というのは少なくなっている様です。少子化ということもあるんでしょうが、集まっている子供たちのほとんどは、その地域に住んでいなかったりします。
       
地蔵盆が終わると くもの子を散らすみたいに居なくなり、ウソみたいに静かになってしまいます。悲惨な事件が起こったことも有り 年々、参加する子供たちの数も減っている様です。  時が進むに連れて 地域のこういうつながりは どんどん消えて行くのでしょうか?
 
子供だけではなく 親御さん達の情報交換の場となるような習慣がどんどん消えて    地域での人間関係は どんどん希薄になって行くように思います。  幼稚園、小学校単位で何か 地域での交流がもてる場や機会をもっと積極的に設けなければ教育の根本が揺らいでしまうように思います。
 

夏の終わりにかかる提灯の火を消さないで来年につないで下さい。 
 
posted by 徳岡邦夫 at 19:18| コラム

2006年08月11日

大理石 御影石。

先日、石材所に行って来ました。矢橋大理石さんです。岐阜県の大垣市 にあります。私のお知り合いの矢橋家の関係だったので、びっくり!!
大理石、御影石について、ずいぶん勉強になりました。

 

御影石という名前はもともと、兵庫県の御影地区で採れた石の総称だったそうです。
現在では、花崗岩や閃緑岩、ハンレイ岩などの総称なんだそうですよ。

 

御影石は世界の国々から輸入され建築用の石材とて使用されていますが、地球の深い地殻部分でマグマが冷えて結晶化した岩石だそうで、それが地殻変動によって持ち上げられ地表面に露出したものだそうです。
 

御影石は長石(白色不透明)、石英(灰色半透明)、黒雲母(黒色不透明)という3種類の造岩鉱物でできているのが目で見てもわかりました。 そのほかにも緑や赤みがかったものもありました。
 
御影石は石質が硬いく緻密な加工が可能であり、研磨面の優美な輝き、耐久性等から外部用にも適しているという事です。 御影石にも木材と同じように石目と呼ばれる方向性が存在するそうで、石を割る場合は石目に沿って矢を入れ、加工していくようです。


外部に石材を使用する場合、吸水率が重要なファクターになると思いますし、変色や寒割れなどの問題と関係するでしょう。
石材の吸水率は細孔率によって大きく左右されるそうで、細孔率とは物質に内在するミクロの空隙のことだと聞きました。 細孔率は、重量単位に物質に含まれる細孔の全容積の割合で、百分率で表され、御影石は厚み30mmの板で吸水率が0.4%を超える石はほとんどないという事です。


又、熱膨張・耐熱性 については、御影石は構成鉱物の1つである石英が573℃で急膨張する事をまず頭に入れる必要があると思います。そして、比熱が大きく、暖めると冷めにくいため、保温性を確保する床材には向いているそうです。熱膨張率は、かなり低い値が出ているので、床下暖房にも向いているかもしれませんね。ちょっと硬い感じがするけど、夏は、冷たく、冬は、電熱線を入れれば、保温性が良いという事で、省エネにもなるかも。。。


耐久性も、御影石の風化抵抗性は、ほかの石種に比べて優れているようです。一般的な石材表面の耐久年月は50〜200年とされているが御影石は約700年を経過して初めて風化が始まるといわれているそうで、頼もしいですね。

 
御影石だけではなく、大理石も見せて頂きました。


大理石は、石灰岩が積み重なり、圧縮して熱変成を受けてできるものだそうです。古代より建築や彫刻に使われたており、価値の高い石材だと思いました。大理石という名前は、中国雲南省の大理県で産出することにちなんで付いたそうです。

 
岩石学上の大理石を調べてみると、「大理石は石灰岩が変成作用を受けて再結晶したもの。結晶質石灰岩ともいう。主な構成鉱物は方解石で、個々の結晶が肉眼で見える大きさになっていることも多い。化石や層状構造など、元の石灰岩ができた時の内部構造はほとんど残っていないのが普通である。」という事でした。
 
実際、石材としての大理石は、岩石学上の大理石のほか、石灰岩、トラバーチン、鍾乳石、オニックスなどが含まれるようです。
 

なかでもイタリアトスカーナ州のカラーラビアンコやギリシャのペンテリコンなどの白大理石が有名で、ホテルや施設でも使われているのも見かけますね。
他には、タージ・マハール大理石でできた建物は数多いようで、古代ギリシアのパルテノン神殿、ローマのコロッセオ、インドのタージ・マハール宮殿などがよく知られているところでしょう。

 
その他にも、大理石で出来たユリウス・カエサルの胸像また、ルネサンス期の彫刻家ミケランジェロは大理石から数多くの傑作を彫り上げているのは、あまりにも有名ですよね。
 

建築材としてビルの内装に、特に上等な仕上げ材として、イタリア産大理石がよく使われるという事で、私共でも、来年3月に名古屋店がオープンしますので、その際に是非使わせて頂く事になりました。特に貴重な石ばかりを選んでいただき、最高です。
名古屋店が、オープンした時には、その石使いを見学に来て頂くだけでも、価値があると思います。

 
今回の見学会で、一番感じ入ったのは、原核生物と言うような、古代生命体のがなければ、大理石のような石も出来なかったと言うことです。何億年もの積み重ねが、大理石の層を作り出しているのを知った時、何か石の深さに魅了されました。
 
原核生物は下等な生物であると思われがちですが、多様な生物種が存在を脅かす現環境下でも生き延び、非常に早い増殖を可能にするために無駄を省いたシステムを体得しています。現生する原核生物は、高度に特殊化しており原始的な生物とは大きく異なっていると想像されますが、何億年もの積み重ねが双方の因果関係を、私の頭の中を駆け巡らせます。


いろいろな経緯を経ていても、今現在存在する事のすばらしさの証のようです。

 
posted by 徳岡邦夫 at 21:14| コラム

2006年08月08日

2年前の私の意見。

ニンジンの原生地はアフガニスタン北部の山岳地帯といわれているようです。 もともとは黄色いものが主流だったようですがアフガニスタンから、ヨーロッパに伝わった西洋系は15世紀以降、オランダで品種改良が進み、芯までオレンジ色のいわゆるカロチンニンジンとよばれるものが登場したそうです。この西洋系のニンジンは江戸時代後期にオランダとアメリカから日本に伝えられたそうです。
一方でアフガニスタンから中国に伝わった東洋系は江戸時代初期に日本に伝わりますが、こちらは独特のクセがあったのと、育てるのも難しかったので、西洋系が一般的になりました。沖縄の琉球ニンジンや、香川、京都の金時ニンジンなどは東洋系のニンジンだそうです。 西洋系はカロチンが豊富で、東洋系はリコピンなどが多く含まれて発ガン抑制効果があるとして注目されているようです。
       
ちなみに「キャロット」の語源はカロチンから来ていると言う事です。 一般的には、ニンジンは輪切りにしたときに、葉に直接つながる「芯」の部分が小さい方が良いといわれています。
まわりの「肉」の部分だけが大きくする為 肥料を与えすぎると、全体の味は薄くなってしまう事もあるようです。
基本的には土の力が 大きな要因に成るようです。 土を作ることは 簡単には 出来ません。 長年の健全な営みの中から 必然として出来上がっているのでしょう。
     
京都に 有機認証を取得している野菜生産農家は 今年で5農家だけだと聞いております。
  
京都では、有機認証を 取得する必然性が 無いからだと思います。
京都の野菜は 京野菜として 全国に求められ 市場の1.5〜3倍の価格で販売されています。
減農薬で 充分なのです。 

自分達家族が食する物以外の野菜には、つまり商品には、減農薬にさえ変更しようとしない農家も有るでしょう。
 
「子どもたちが正しい食べ物を選択できるようにするためには、絶え間ない親の工夫がなによりも大切なのでしょう。」 この事に つきると思います。
 
生産者の方々も 流通に関与している方々も 一般消費者、飲食店や食品加工業者の方々 添加物製造メーカーの方たち、皆さんの子供たちが正しい食べ物を選択できるようにする為に、絶え間ない工夫をしていると言えるでしょうか?
 

環境の破綻は、生命存続の危機です。それぞれの立場 環境において 「どうしようもない。」と思われる事も沢山あるでしょう。
  しかし、「このままでは・・・・!」と思っているのは 自分一人ではなく 自分自身を信じ、まず一歩 進んでみる事が 大事なように思います。
そうして 点が線になり面になり立体的な球になり、一方方向ではなくどの方向にも 膨張していけば素敵な 環境に成ると思っています。が しかし 必然性が伴わないのです。 

 

いろいろな考え方は有るでしょうが 簡単に言えば、土の健全化に大変な努力をし、お金をかけて、わかりにくい手続きや、日々のめんどくさい農業日誌を付けたり、どれだけの作物が今日何処に出荷したかなど財布の中を探られるような事まで申告しなくとも そこそこの収入が効率よく手元に入り節税できる方が 良いに決まっていますよね。
 

他府県では もう今までのままでは生活が 成り立たなくかも知れない。と言う思いがふくれあがっているようにもみえます。 信用というブランドを早く作り上げなければ もしくは早く作り上げる事において他府県より有利に展開したいという思いが有るようにみえます。
すでに  市や県ぐるみで 「アグリパーク」など農家の方々とのコミュニティーが出来上がって成功を収めている所もあります。また、農家の方々が集まり 会社を立ち上げみんなの力で 健全な物を作ろうとしているグループも有るようです。
  

生活の中から 自分たちの力で 何とかしようと言う必然が 無ければ 変っていかないのでしょう。人は弱い物ですから どうしようも無く せっぱ詰まらないと ほとんどの方は動かないようです。その結果、農家の方々、各地域で自分たちの手で変革を起こそうというムーブメントは、大変わくわくするのですが、 ただ目先の変わった事 今までになかった事 の羅列では、通用しないと思います。 今までの積み重ねを 知った上での、そして本質を知った上での 提案、ベンチャー、試み、改革でないと即 排除されると思います。見せかけの物に成って欲しくないです。
       

 スーパーの 農家の方の写真は、本物なのでしょうか? 
 生産者表示も 本物なのでしょうか?食品の安全性に関しては、「トレーサビリティ(履歴追跡)」という概念が非常に重要です。
       

例えば、ハムの製造メーカーが、自社工場の工程では、食品添加物などを使用していないとしても、養豚業者が、出荷直前まで抗生物質などの薬剤を大量に使用しているかもしれませんし、豚に与える飼料に農薬が大量に散布されているかもしれません。
       

 製造メーカーが「安全なハム」と謳うには、それらのすべてがトレース(追跡)できなければなりません。
しかし、今までの調査で明らかになったことは、生産地すら把握してない食品メーカーがほとんどいうことで、栽培方法、飼育方法に至っては、ほとんど知識をもたないのが実情というわけです。 
水産食品には こういう考え方が 一般化していないので 大変苦労します。  
       

流通業者は、もっとひどい!!農薬、防腐剤使いたい放題、国によって基準が違う 国内用、輸出用で基準が違うらしい 自分たちが食する物は 安全で 輸出用は、お金になれば 其れで良い。  話し合いが必要なのか 何が必要なのでしょうか健全化するために 地球外に敵が現れたら 地球は一つになるのかな・・・・・?
   

虚偽表示など、食品の安全性をおびやかす事件が相次ぐ中、食品メーカーのこうした姿勢は問題視されなければいけませんね。
 
子供たちのために!!次の世代の為に!!!私たち消費者や飲食店も、多少価格が高くても、素性のはっきりした、高い基準のトレーサビリティが確認できる食品を購入するという「自衛策」を考えなければならないといえるのではないでしょうか。
 
家族で、ピクニック代わりに農家に行き、お手伝いをしながらお話しをする事も出来ると思います。そういう、学校での課外授業がもっと増える事も、良いかもしれませんね。        
特に京都の、小学生が、グループを作り、定期的に一般の農家を訪問し、「 農薬を撒いてませんか?」と質問してみるというのは、どうでしょうか?農家の方も、流通業者や消費者に嘘はつけても、子供に嘘をつきとうせるでしょうか。 
 
今度、その提案を、いろいろなところで提案してみます。 水産業へも、目を向けたいですね。        
考え方によっては、これだけ、堆肥を作り出す行程で出来る水溶性の硝酸態窒素とかによって、環境汚染されて続ける自然から取れる「天然物」より、ゆくゆくは、完全に管理されて作り出す養殖魚のほうが、安全でおいしい物になるかもしれませんね。 
 
 
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2年前は、激しかったですね!
騒ぎは、いま少し収まっていますが、改善されたでしょうか?
 
 
posted by 徳岡邦夫 at 19:39| コラム

2006年08月03日

「Yahoo!セカンドライフ」

 
Yahoo社のシニア向け新サイト・プロジェクトに際しまして、「Yahoo!セカンドライフ」というテーマにて、一年間、サイト上で執筆することになりました。

そのサイト がオープンいたしましたので紹介させて頂きます。

私自身の年間テーマは、

4月筍について、
5月器について、
6月生きる力、
7月祇園について、
8月夏野菜について、
9月「をかし」、
10月松茸について、
11月蟹について、
12月「よばなし」と言う茶事、
1月「あいかわりませず」という挨拶、
2月礼儀作法、
3月京都吉兆の秘伝

変更するかもしれません。

是非、のぞいてみてくださいね!!
posted by 徳岡邦夫 at 11:53| コラム