こんな馬鹿でも、何とかやってこれたのは、たくさんの人のおかげです。
そういうことも含めて いろんな良い要因も捉え方次第で、反対の結果に行き着くこともあると思います。
頑張っているのに、結果がでない時期がありました。それは、結局私に要因があったのです。
私自身の能力がなかったのです。
ここぞと言うときの行動力に欠けていたのです。
深く思慮のないまま行動に移していたのです。
若干ある良い部分の表現が悪かったのです。
私自身の考えがダメだったのです。
手順もダメ、優先順位の決め方もダメ、タイミングもダメ、表情ダメ、たくさんのダメがあります。
人間としてダメだったのです。今もそうです。
ただ、若干の光る才能も持っている気がしています。
その事を糧に、ダメな部分をその環境に適応したものに変化さしていくしか無い様に思います。
ダメな理由をつけていても、社会の所為にしても、幸せになれないのです。
皆さんは、必ず、きらっと輝く才能をお持ちなのです。
皆さんは、赤ちゃんの時、私は、歩くのが下手だからと言う理由をつけて、途中で諦めたでしょうか?日本語が不得意と言う理由で、伝える事を諦めたでしょうか?いろんな障害を持っている方の中にも素晴らしい頑張りや成果を発揮された方は、たくさんおられます。
普通に歩ける事。それは、諦めずに成し遂げた証なのです。普通にお話していることそれは、努力の成果なんです。それは輝ける才能を持っている証なのです。しかし、それは、諦めなかったから得た才能なのです。
幸せになる事を諦めないでください。
皆さんが、幸せになる為の御手伝いが出来ればと考えています。私にとっては、食の事しかないので、食に派生した事を通して、頑張る勇気を伝える事が出来たら素晴らしいと感じています。
とんちんかんで馬鹿な答えしかしていませんが、日経レストラン「長く愛されるには理由がある」 2002年年1月8日発行 のインタビューより
◆-徳岡さんが料理の世界に入ったのは、いつ頃でしょう。
20歳の頃ですね。それまでサッカー選手になりたいとかミュージシャンになりたいと対抗していたんですが、引き戻されて…。今でも本腰は入っていないのかもしれませんが(笑)。
◆-徳岡さんにとって”料理”とは?
料理というのは、その場、その瞬間で相対的に変えていかなければいけない物です。その瞬間を見極め、臨機応変に判断していくのが料理なんです。例えば、80歳のおばあさんと20歳のお孫さんに同じ料理でいいのか?違いますよね。相手の事、食べる人の環境を想像しなければならない。自分だけがおいしいと思っていてもダメなんです。食べる人が「美味しい」と感じないと、何の意味もない。
◆-しかし、日本料理の世界では、自分の持つ技量にこだわりがちです。
職人の世界、でしょうね
◆-「吉兆」にそういうところは?
あるかもしれません。でも、創業者である祖父の湯木貞一は違いました。それまでにないことばかり、何でもやってました。お茶の世界を通じて、色々なジャンルの人と接する事ができたからでしょう。色々な考え方があるということを知っていったんでしょうね。ある方が持ってきてくれたフォワグラやスモークサーモンを使ったり、牛肉を網焼きにしたり…。
◆-料理を食べるということは、人間にとっては喜びに通じます。
食べられた方に、僕らの思いとか、ただ「美味しい」ということだけではなくて、ホッとするというか、温かさをお届けしたい。そういった人と人との触れ合いがないと、人間は生き続けられない。ただ食事を摂って寝ているだけでは生き続ける意欲が起きませんよね。料理を作るというのは、物に対してではなく、その先にいる人に思いを馳せることなんです。もしくは食事をした人が 料理の先にある 料理人、生産者の顔、生産地の風景を 思い起こさすような料理を作ることが大事なのです。ところが、いつしか経済効果、お金が優先順位の第一の時代となり、お金で勝ち組み、負け組みをはっきり分けてしまうような考え方がはびこるようになった。
◆-すべてをビジネス、産業として結び付けようとしてきた結果でしょう。
でも、なんでも極端に行き過ぎるとしっぺ返しが来る。均衡を保とうとするのは、宇宙のリズムというか、摂理なんだと思います。こっちに偏ると反対の力が起こるし、あっちに行き過ぎるとこっちに向く…。今の時代も、極端に行き過ぎて、そのツケが色々な場面でまさに精算されている。
◆-今がクリアすべき時ですね。
それでいいんじゃないでしょうか。そんな中で、”料亭”に対する価値観も変わってきたわけですから、旧来のままの価値でいると、宇宙の摂理として淘汰されていく。その時々の環境の中で「必要ないもの」になれば、淘汰されるのは当たり前で、皆さんが「必要」とするから存在する意味があるし、存在し続けることができる。意味がないものになれば、消えるしかない。むしろ、どこかが制度疲労していると、必ず自分から無くなっていこうとする。自然の摂理なんですね
◆-皆に、「必要」とされるには?
社会に貢献でき、何か人の役に立つことができるものであることでしょう。素敵な人、素敵な会社になれるかどうか。お客様にとっても、生産者にとっても、社員にとってもです。
◆-実現するのはなかなか難しい。
今は情報が氾濫していますが、重要なのは、情報を得る努力をし、その中から選んで決断して行動に移す事が 大事ですし その結果の責任は自分でとるという事です。
責任を取ると言う事は並大抵の事ではないと思います。責任を取りきれない事も有るでしょう。でもその覚悟をする事が 大切なように感じています。
その事で 人に迷惑を 出来るだけかけない事が社会貢献に 繋がるようにも 感じています。そしてそれは 「共に」と言う事、バランスが健全な状態でこそ 意味ある事になると思います。 サービスは、インタラクティブな物だと言う事です。
1200年以上の間 形を変え存在続けた京都の歴史の積み重ねの中にその答えを 見出す答えがあるようにも 感じています。
今の時代のスピードはすごく速く、昔は日本も地球も広かったけど、今は どこへでも すぐに行けるし、情報も瞬時に行き来し、物流も発達して様々なものが様々な形ですぐに送られてきます。 我々はいろいろな道具を使うことができるし、ルートを探るチャンスもある。ただし、汗水流して努力しているだけでは、目標とする方向とは 全く違う方向に進んでいるかも知れない。それこそ一生懸命無駄をやっている事になる。そんな時に、一度立ち止まって、本当にこの方向でいいのかな、今自分は何処にいるのかな、何処へ行きたいのかな、ただ走っているだけでいいのかな、ということを考えるべきじゃないか、と。バブルが弾けた時に、その事とを考えさせられました。
経済、数字至上主義で良いのかと言う事です。
◆-徳岡さん自身は、そういう世界をどう感じていたのでしょう。
やはり、反発はありましたね。 私共でも なぜ、そういう人達だけを相手にしているのか、食材も含め なぜこんなに高いのか、と。
僕自身は、カウンターで直接お客様に相対して、素材を見せて、「今日はどうしましょうか」なんていう店をやりたかったし、ご飯にみそ汁を出す移動式の店をやってお金を貯めて、若い人向けの屋台の割烹屋さんを出したいとか思っていましたから。
◆-そんな中で、最近は色々と新しい試みをされているようですね。
料理の源である「生産」に関して問題意識を持っているんですが、外でお話してるうちにある企業さんと話が発展して、生活に密着したもの、生きるために必要なものをあるべき姿で流通させようという試みを始め様といています。例えば、京都吉兆用に造ってもらっている醤油を提案するのですが、造り方もオープンにして、希望者の意見も採り入れながら、どんどん必要な要素を入れて新しい商品を開発していこうと。また、生産現場を含めた環境問題もこれからの課題ですから、健全な自然環境を促す意味で、ネット上の話し合いの場として、バーチャルの「食コミュニティー」を作りました。
◆-「吉兆」にとっては、何らかの役割を果たすのでしょうか。
「吉兆」の新ブランド、価値観の新しい考え方ができると思います。ただ名前が通っているということではなく、「吉兆」というのは真っ当な事をしている会社で、今の社会に必要なんだ、一つの拠り所になるんだという新しいブランドにしたい。
◆-それは、これまでの「吉兆」の存在では、もう立ち行かなくなってきたということなのでしょうか?
僕は、一人の人間として湯木貞一が大好きなんです。お茶や文化に精通し、吉兆風という技術も作った。でも、最大の偉業は「吉兆」というブランドを作った事だと思っています。今はそれで食いつないでいるようにも感じます。それはあまりにも大きく その事を可能にしているのです。ただ、湯木貞一の作り上げたそれは日本料理というカテゴリーの中でだけで通用する物なのです。その環境下において 今の価値観に合った新しいスタンダードを作らねばならないという事です。社会にとって健全なものとしてね。
◆-それには違う表現が必要だと?
美味しさとは何かを科学的に説明したり、これまでクローズしてきた事を解き放つことで、お客様自身に判断してもらおう。「私達はこういう風に思って料理を提供しています。それは、正しいと思いですか?受け入れてもらえますか?」、もしくは「こんな高いお金を払っても、来ていただけますか?」とね。
◆-それは「吉兆」の業績の推移とも関係があるのでしょうか?
バブルが崩壊してからも、私共のグループは毎年出店して、ほぼ成功しています。京都吉兆も前期は売り上げも利益も過去最高でした。ところが、(2001年)5月ぐらいからがたっと落ちました。株式市場の影響や同時不況の陰りでしょうか、消費者の皆さんもさすがに控えるようになりましたね。(2001年度決算は、前期を若干ではありますが 上回りました。「2002/6月において」)嵐山本店は、敏感なんです。お客様が京都駅前にあるホテルグランヴィアの支店の方に流れましたし、グランヴィアの価格は嵐山のおよそ半分ですが、一度体験してもらうと、「何だ、これならいけるじゃないか」となる。今までは「いくら取られるか分からない」という感じだったのが、ホームページを作って広報したりした結果、変わってきた面もあると思います。
◆-インターネットは他にもいろいろと活用されているようですね。
社員の求人も、厨房を除いて、新卒はインターネットだけで求人しています。昨年は20人程採用しました。もう10年になりますが、バブルが崩壊して、価値観を変えねばならないと思った時に、何が必要と いうと、”人”だと思ったんです。僕一人では何もできないと痛感しましたからです。
◆-そうした徳岡さんの試みは「吉兆」グループにも伝播していますか?
京都だけよりも、グループ5社でやる方が費用の面でも軽減できますし、僕自身としてはこれからはそうあるべきだと信じていましたので、相談したんですが「まだ、いいよ」ということで、まずうちだけ…。
◆-でも、京都吉兆の中には根付きつつあるのでしょうね。
それもまだまだ孤軍奮闘ですよ。1000名以上の対応を 求人対応ソフトを使い、なんとかほぼ一人でやってますから。 当然、説明会や選考、の対応は、役員を初め、全社員に手伝ってもらいながら 徐々に 確立した物に成りつつあります。 ただ、こうした新しい取り組みは、直接数字には結び付けづらい。去年、ようやく少しは数字に表れてきたのかなとは思います。グループ各社の中からも、時々問い合わせが来ることも在ります。
◆-ワインにも積極的ですね。
本格的にメニューを出したのは、1990年からでしょうか。いずれは、ラベルもこだわり、瓶も僕のデザインで、葡萄も一つずつ僕が選んで、僕が独自にワインを造るのが夢なんです。それも、世界に通用する品質のものをね。他に、バカラさんとも親しくさせてもらっていて、バカラさんと「吉兆」の刻印が入った、うち用のグラスも作ってもらっています。そのオーナー家が日本料理に合う素晴らしい「ティタンジェ・コート・ド・シャンパーニュ」というシャンパンを造っていまして、本国まで押し掛けて、「吉兆」の「プライベート・キュベ」を造くってくださいと迫ったこともあります。結局はダメでしたけど、他にも、モエ・エ・シャンドンさんやクリュッグさんに行ったり…。無茶苦茶やってますよね(笑)。そのおかげで今も日本とフランスのタイアップ企画の時には声を掛けて頂いております。
◆-「吉兆」には元来、改革の精神が流れていたわけですね。
前世代の方に見られるのは、自分の世界に立ち入られるのは嫌だという発想です。一部を否定される事で、自分の歩んできた輝かしい高度成長期時代の人生、全部を否定されるように思うんでしょう。だから、変えたくない。そこで、自分の存在がなくなってしまう恐怖に駆られる。そうじゃないんですよね、本当は。いいところも大切な事もたくさん持ってらっしゃる。それは若い人にも伝える事でお互いが助け合うことで育んでいけると思います。だから、残す勇気と変える勇気、両方を持たないと、健全な地球の未来はないんでしょうね。
