2006年07月30日

俺って、馬鹿!!

こんな馬鹿でも、何とかやってこれたのは、たくさんの人のおかげです。
そういうことも含めて いろんな良い要因も捉え方次第で、反対の結果に行き着くこともあると思います。


頑張っているのに、結果がでない時期がありました。それは、結局私に要因があったのです。


私自身の能力がなかったのです。

知識がなかったのです。感性がなかったのです。
ここぞと言うときの行動力に欠けていたのです。
深く思慮のないまま行動に移していたのです。
若干ある良い部分の表現が悪かったのです。
私自身の考えがダメだったのです。
手順もダメ、優先順位の決め方もダメ、タイミングもダメ、表情ダメ、たくさんのダメがあります。
人間としてダメだったのです。今もそうです。
 
ただ、若干の光る才能も持っている気がしています。
その事を糧に、ダメな部分をその環境に適応したものに変化さしていくしか無い様に思います。
ダメな理由をつけていても、社会の所為にしても、幸せになれないのです。
 
皆さんは、必ず、きらっと輝く才能をお持ちなのです。
 
皆さんは、赤ちゃんの時、私は、歩くのが下手だからと言う理由をつけて、途中で諦めたでしょうか?日本語が不得意と言う理由で、伝える事を諦めたでしょうか?いろんな障害を持っている方の中にも素晴らしい頑張りや成果を発揮された方は、たくさんおられます。
 
普通に歩ける事。それは、諦めずに成し遂げた証なのです。普通にお話していることそれは、努力の成果なんです。それは輝ける才能を持っている証なのです。しかし、それは、諦めなかったから得た才能なのです。
 
幸せになる事を諦めないでください。
 
皆さんが、幸せになる為の御手伝いが出来ればと考えています。私にとっては、食の事しかないので、食に派生した事を通して、頑張る勇気を伝える事が出来たら素晴らしいと感じています。
とんちんかんで馬鹿な答えしかしていませんが、日経レストラン「長く愛されるには理由がある」 2002年年1月8日発行 のインタビューより
 
◆-徳岡さんが料理の世界に入ったのは、いつ頃でしょう。
 
20歳の頃ですね。それまでサッカー選手になりたいとかミュージシャンになりたいと対抗していたんですが、引き戻されて…。今でも本腰は入っていないのかもしれませんが(笑)。
 
◆-徳岡さんにとって”料理”とは?
 
料理というのは、その場、その瞬間で相対的に変えていかなければいけない物です。その瞬間を見極め、臨機応変に判断していくのが料理なんです。例えば、80歳のおばあさんと20歳のお孫さんに同じ料理でいいのか?違いますよね。相手の事、食べる人の環境を想像しなければならない。自分だけがおいしいと思っていてもダメなんです。食べる人が「美味しい」と感じないと、何の意味もない。
 
◆-しかし、日本料理の世界では、自分の持つ技量にこだわりがちです。
 
職人の世界、でしょうね
 
◆-「吉兆」にそういうところは?
 
あるかもしれません。でも、創業者である祖父の湯木貞一は違いました。それまでにないことばかり、何でもやってました。お茶の世界を通じて、色々なジャンルの人と接する事ができたからでしょう。色々な考え方があるということを知っていったんでしょうね。ある方が持ってきてくれたフォワグラやスモークサーモンを使ったり、牛肉を網焼きにしたり…。
 
◆-料理を食べるということは、人間にとっては喜びに通じます。
 
食べられた方に、僕らの思いとか、ただ「美味しい」ということだけではなくて、ホッとするというか、温かさをお届けしたい。そういった人と人との触れ合いがないと、人間は生き続けられない。ただ食事を摂って寝ているだけでは生き続ける意欲が起きませんよね。料理を作るというのは、物に対してではなく、その先にいる人に思いを馳せることなんです。もしくは食事をした人が 料理の先にある 料理人、生産者の顔、生産地の風景を 思い起こさすような料理を作ることが大事なのです。ところが、いつしか経済効果、お金が優先順位の第一の時代となり、お金で勝ち組み、負け組みをはっきり分けてしまうような考え方がはびこるようになった。
 
◆-すべてをビジネス、産業として結び付けようとしてきた結果でしょう。
 
でも、なんでも極端に行き過ぎるとしっぺ返しが来る。均衡を保とうとするのは、宇宙のリズムというか、摂理なんだと思います。こっちに偏ると反対の力が起こるし、あっちに行き過ぎるとこっちに向く…。今の時代も、極端に行き過ぎて、そのツケが色々な場面でまさに精算されている。
 
◆-今がクリアすべき時ですね。
 
それでいいんじゃないでしょうか。そんな中で、”料亭”に対する価値観も変わってきたわけですから、旧来のままの価値でいると、宇宙の摂理として淘汰されていく。その時々の環境の中で「必要ないもの」になれば、淘汰されるのは当たり前で、皆さんが「必要」とするから存在する意味があるし、存在し続けることができる。意味がないものになれば、消えるしかない。むしろ、どこかが制度疲労していると、必ず自分から無くなっていこうとする。自然の摂理なんですね
 
◆-皆に、「必要」とされるには?
 
社会に貢献でき、何か人の役に立つことができるものであることでしょう。素敵な人、素敵な会社になれるかどうか。お客様にとっても、生産者にとっても、社員にとってもです。
 
◆-実現するのはなかなか難しい。
 
今は情報が氾濫していますが、重要なのは、情報を得る努力をし、その中から選んで決断して行動に移す事が 大事ですし  その結果の責任は自分でとるという事です。

責任を取ると言う事は並大抵の事ではないと思います。責任を取りきれない事も有るでしょう。でもその覚悟をする事が 大切なように感じています。 
その事で 人に迷惑を 出来るだけかけない事が社会貢献に 繋がるようにも 感じています。そしてそれは 「共に」と言う事、バランスが健全な状態でこそ 意味ある事になると思います。 サービスは、インタラクティブな物だと言う事です。

「物事は必要とされるから存在する。」を 逆転さすと 「存在するする物は 全て意味がある。」と言うことになります。
1200年以上の間 形を変え存在続けた京都の歴史の積み重ねの中にその答えを 見出す答えがあるようにも 感じています。

今の時代のスピードはすごく速く、昔は日本も地球も広かったけど、今は どこへでも すぐに行けるし、情報も瞬時に行き来し、物流も発達して様々なものが様々な形ですぐに送られてきます。 我々はいろいろな道具を使うことができるし、ルートを探るチャンスもある。ただし、汗水流して努力しているだけでは、目標とする方向とは 全く違う方向に進んでいるかも知れない。それこそ一生懸命無駄をやっている事になる。そんな時に、一度立ち止まって、本当にこの方向でいいのかな、今自分は何処にいるのかな、何処へ行きたいのかな、ただ走っているだけでいいのかな、ということを考えるべきじゃないか、と。バブルが弾けた時に、その事とを考えさせられました。
経済、数字至上主義で良いのかと言う事です。

 
◆-徳岡さん自身は、そういう世界をどう感じていたのでしょう。
 

やはり、反発はありましたね。 私共でも なぜ、そういう人達だけを相手にしているのか、食材も含め なぜこんなに高いのか、と。
僕自身は、カウンターで直接お客様に相対して、素材を見せて、「今日はどうしましょうか」なんていう店をやりたかったし、ご飯にみそ汁を出す移動式の店をやってお金を貯めて、若い人向けの屋台の割烹屋さんを出したいとか思っていましたから。

 
◆-そんな中で、最近は色々と新しい試みをされているようですね。
 
料理の源である「生産」に関して問題意識を持っているんですが、外でお話してるうちにある企業さんと話が発展して、生活に密着したもの、生きるために必要なものをあるべき姿で流通させようという試みを始め様といています。例えば、京都吉兆用に造ってもらっている醤油を提案するのですが、造り方もオープンにして、希望者の意見も採り入れながら、どんどん必要な要素を入れて新しい商品を開発していこうと。また、生産現場を含めた環境問題もこれからの課題ですから、健全な自然環境を促す意味で、ネット上の話し合いの場として、バーチャルの「食コミュニティー」を作りました。
 
◆-「吉兆」にとっては、何らかの役割を果たすのでしょうか。
 
「吉兆」の新ブランド、価値観の新しい考え方ができると思います。ただ名前が通っているということではなく、「吉兆」というのは真っ当な事をしている会社で、今の社会に必要なんだ、一つの拠り所になるんだという新しいブランドにしたい。
 
◆-それは、これまでの「吉兆」の存在では、もう立ち行かなくなってきたということなのでしょうか?
 
僕は、一人の人間として湯木貞一が大好きなんです。お茶や文化に精通し、吉兆風という技術も作った。でも、最大の偉業は「吉兆」というブランドを作った事だと思っています。今はそれで食いつないでいるようにも感じます。それはあまりにも大きく その事を可能にしているのです。ただ、湯木貞一の作り上げたそれは日本料理というカテゴリーの中でだけで通用する物なのです。その環境下において 今の価値観に合った新しいスタンダードを作らねばならないという事です。社会にとって健全なものとしてね。
 
◆-それには違う表現が必要だと?
 
美味しさとは何かを科学的に説明したり、これまでクローズしてきた事を解き放つことで、お客様自身に判断してもらおう。「私達はこういう風に思って料理を提供しています。それは、正しいと思いですか?受け入れてもらえますか?」、もしくは「こんな高いお金を払っても、来ていただけますか?」とね。
 
◆-それは「吉兆」の業績の推移とも関係があるのでしょうか?
 
バブルが崩壊してからも、私共のグループは毎年出店して、ほぼ成功しています。京都吉兆も前期は売り上げも利益も過去最高でした。ところが、(2001年)5月ぐらいからがたっと落ちました。株式市場の影響や同時不況の陰りでしょうか、消費者の皆さんもさすがに控えるようになりましたね。(2001年度決算は、前期を若干ではありますが 上回りました。「2002/6月において」)嵐山本店は、敏感なんです。お客様が京都駅前にあるホテルグランヴィアの支店の方に流れましたし、グランヴィアの価格は嵐山のおよそ半分ですが、一度体験してもらうと、「何だ、これならいけるじゃないか」となる。今までは「いくら取られるか分からない」という感じだったのが、ホームページを作って広報したりした結果、変わってきた面もあると思います。
 
◆-インターネットは他にもいろいろと活用されているようですね。
 
社員の求人も、厨房を除いて、新卒はインターネットだけで求人しています。昨年は20人程採用しました。もう10年になりますが、バブルが崩壊して、価値観を変えねばならないと思った時に、何が必要と いうと、”人”だと思ったんです。僕一人では何もできないと痛感しましたからです。
 
◆-そうした徳岡さんの試みは「吉兆」グループにも伝播していますか?
 
京都だけよりも、グループ5社でやる方が費用の面でも軽減できますし、僕自身としてはこれからはそうあるべきだと信じていましたので、相談したんですが「まだ、いいよ」ということで、まずうちだけ…。
 
◆-でも、京都吉兆の中には根付きつつあるのでしょうね。
 
それもまだまだ孤軍奮闘ですよ。1000名以上の対応を 求人対応ソフトを使い、なんとかほぼ一人でやってますから。 当然、説明会や選考、の対応は、役員を初め、全社員に手伝ってもらいながら 徐々に 確立した物に成りつつあります。 ただ、こうした新しい取り組みは、直接数字には結び付けづらい。去年、ようやく少しは数字に表れてきたのかなとは思います。グループ各社の中からも、時々問い合わせが来ることも在ります。
 
◆-ワインにも積極的ですね。
 
本格的にメニューを出したのは、1990年からでしょうか。いずれは、ラベルもこだわり、瓶も僕のデザインで、葡萄も一つずつ僕が選んで、僕が独自にワインを造るのが夢なんです。それも、世界に通用する品質のものをね。他に、バカラさんとも親しくさせてもらっていて、バカラさんと「吉兆」の刻印が入った、うち用のグラスも作ってもらっています。そのオーナー家が日本料理に合う素晴らしい「ティタンジェ・コート・ド・シャンパーニュ」というシャンパンを造っていまして、本国まで押し掛けて、「吉兆」の「プライベート・キュベ」を造くってくださいと迫ったこともあります。結局はダメでしたけど、他にも、モエ・エ・シャンドンさんやクリュッグさんに行ったり…。無茶苦茶やってますよね(笑)。そのおかげで今も日本とフランスのタイアップ企画の時には声を掛けて頂いております。
 
◆-「吉兆」には元来、改革の精神が流れていたわけですね。
 
前世代の方に見られるのは、自分の世界に立ち入られるのは嫌だという発想です。一部を否定される事で、自分の歩んできた輝かしい高度成長期時代の人生、全部を否定されるように思うんでしょう。だから、変えたくない。そこで、自分の存在がなくなってしまう恐怖に駆られる。そうじゃないんですよね、本当は。いいところも大切な事もたくさん持ってらっしゃる。それは若い人にも伝える事でお互いが助け合うことで育んでいけると思います。だから、残す勇気と変える勇気、両方を持たないと、健全な地球の未来はないんでしょうね。
 
posted by 徳岡邦夫 at 12:04| コラム

2006年07月29日

子供の夢

今、子ども達の世界にデザインの力で夢を運ぼうというNPO法人が立ち上がりました。
実は、私も、そのNPOの理事をさせて頂いております。
私が選出されたのは、食のデザイン・食育を 通して広く発言をする為だそうです。 子供に夢を!!
 

子供の夢って、なんやろう???   サッカー選手?金持ち?タレント?
 

子供に夢を、持ってもらう為には、なにを手助けしたらよいのでしょうか???
 
うちの子供達に「世界の子供達に夢を持ってもらうNPOの理事になるんやけど、子供達の夢って何やと思う?」と聞きましたら、長男は、「自分の好きなことが出来ること、サッカー好きなやつは、 サッカー選手やろ!」という事、次男は、「医師や人のためになりたいと思ってると思う。」という答えが来ました。
 次男に詰めて聞くと、世界の子供達という事でアフリカなどを想像したようです。
 
私、「その為には、なにが必要?」
次男「経済的や家庭的な事も含めて、環境」 という事でした。

長男の夢は、プロテニスプレイヤーだったが、もうあきらめたという事でした。 
次男は、人の役に立つ人だそうだ。

「二人とも、がんばれよ!!」という事で、電話を切りました。
 
子供達との、日ごろの対話が出来ていない自分が、恥かしくなりました。

皆さんの御宅では、お話をされていますか?
     

posted by 徳岡邦夫 at 21:18| コラム

2006年07月20日

主婦の生活

若奥様から、メールを頂きました。ドキドキ!!
 
私とのメール交換内容を、掲載いたします。
何を感じられますか?


>
>大変ご無沙汰しております。
>3年ほど前に■■■幼稚園で御世話になった■■■です。
>急に暑さが身にしみてきて何をするのも大変に思いますが、
>いつも徳岡さんのお話が頭から離れず、ご飯作りだけは手をかけたいな。
>という思いのもと毎日を送っています。
>といっても大げさな事はとてもできていませんが
>あのときの胡瓜の味が忘れられず、
>去年から家の庭で家庭菜園を行い
>今年は胡瓜をはじめトマトやししとう、なす、ジャガイモなどなど
>子供達と世話して新鮮、無農薬のお野菜を美味しくいただけるようになりました。
> 
>昨日たまたまNHKの「プロフェッショナル」を見ていて来週徳岡さんが出演される
>と知り、
>思わずメールを書かせてもらいました。
>色々ご活躍とは聞いていましたが、中々お目にかかる機会がなかったので
>来週とても楽しみです。
>テレビからの徳岡さんのメッセージを子供と色々話ししながらお聞きしたいと思いま
>す。
>暑い日が続きますが、お身体に気をつけてください。
>
>
>
>
■■■■■様
                 京都吉兆の徳岡邦夫と申します。

ご丁寧にメールありがとうございました。
素晴らしい暮らしぶりを お知らせいただきまして ありがとうございます。
感動です。
いろいろなところで、講演や取材の際にも、食の意識を高めて頂ければと思い悪戦苦闘して
おりますが、私に力が無い為、伝わっていないように感じていました。
大変うれしいです。
■■■さんに伝わって実行をして頂いている事を光栄に思っております。

この事を、たくさんの方に知って頂きたいので、HPのコラムに御名前を伏せて掲載させて頂
いてよろしいでしょうか?

社員の皆にも、報告します!!


>こちらこそ、ご丁寧にお返事をありがとうございます。
>テレビに出演されるような方にメールを頂いた事を知ると、子供達も喜びます。
>
>素晴らしい暮らしぶり、と褒められるととても恥かしいです。
>でも、徳岡さんのお話を聴いてから気にするようになり、
>家で実際にお野菜を作るようになって、
>今まで食べてきたようなものができると思いきや、
>青しそはばったの子供のような虫に穴だらけにされ、
>三つ葉はアブラムシ?だらけになり、それを食べるありが大量にたかる。
>など、予想外の展開になっています。
>それを見て、農家の方の苦労を知り、もしかしたらこの事態を打開するべく
>お薬が使われているのかも?という事を思いながら
>いい方法を考えられたらいいな。と思う日々です。
>
>一主婦の生活を知ってもらえる事で、
>何か伝わる事があればホントに嬉しいです。
>こんな私のメールで良かったら、どんどん使ってください。
>使われる事を励みに、また明日から何か始められたらと思います。
>お忙しいなか読んでいただいてありがとうございました。
>

 
皆さんは、何か感じられませんか?
 
今のままで、いいのでしょうか???
 
今、食コミュニティーBBSの各掲示板にいたずら書き込みが 多数あります。

自分自身を隠し、名を名乗らず、方法論だけで、相手を制圧しようとする方が、増えています。
 
正々堂々とまじめに生きている方が、暮らしやすい環境を作る為に努力して行きます。
 


 

posted by 徳岡邦夫 at 21:07| コラム

2006年07月16日

時代の波。

マネックス・ビーンズ・ホールディングス 代表取締役社長CEO 松本 大氏が分かりやすい「株のはなし」という本を出版されています。真鍋かおりさんとの対談形式で大変勉強になり、デイ・トレーディングをしたくなりました。
TVでは、いろんな事件が、報道されています。
少し前には、考えられなかった、良いことも悪いことも同時に、起こっているのが、今なのですね。
 
近代化の波があらゆるところに押し寄せた明治維新直後をイメージさせられました。

そのころの多くの画家たちは西洋や中国、又、我が国の古典等、さまざまな美術を研究し、新しい絵画を創る為の試行錯誤をくり返してたと聞きます。 
  

京都画壇の画家たちは、熟練の筆づかいと繊細な色調の上にまだ模索を操りながら、これらの研究の成果を巧みに取り入れ、近代の日本画としてさらに美しく洗練させていく事に成功した様に思います。 
  

当時、近代の日本画は、西洋ではあまり注目されることのない領域ではありましたが、卓越した審美眼と深い理解により築きあげられたコレクションは、今も健在で 高い評価を受けるようになりました。 

幕末・明治の激動の時代を生き抜いた画家には、森寛斎、富岡鉄斎、幸野楳嶺(こうのばいれい)、塩川文隣と言う面々が。
 

その後、竹内栖鳳、上村松園、富田溪仙、橋本関雪、堂本印象をはじめとする京都画壇の代表的な方々が 近代の日本画を確立していく大正・昭和の名手たちだったのです。
 
生き抜く力を 感じます。  「工夫して 心くだくる思いには 花鳥風月みな料理なり」湯木貞一の言葉を 思い出します。「それだけ 懸命に出来るモノと出会えて 幸せだ。」とも思いますし、その充実感が たまらなく幸せに感じます。
 
それには、まず自分を信じ、トライするしかないですね!!頑張ります!!  
責任を取る覚悟で行きます。諦めずに、何回でも奮い立たせて!!  
 
それだけ懸命になる、そして好きになる事やモノの向こう側には 人が 看える様にも感じます。
 
職人が、大工を、樹木を、料理を、株式を、為替を、農作物を、政治を、法律を、お酒を、こだわりを 愛する向こう側には、人間がいると感じます。       
 
愛するが ゆえに 工夫する。        
 
工夫する 対象となる人、人たち。
「あいつらには負けてたくない!!」というのもあるでしょう。「あの人に気に入られたい、認めてもらいたい。」、「あの人のようになりたい。」など等、「家族を養って行かなくては。」と言う思いも、「俺が この地球を動かしている。」と言う傲慢な思いも、どれも懸命なことは、素敵に映るように感じます 。そういう時代の変革期の話を 聞くと胸が熱くなります。       
 
頑張る活力になります。 
小さなことから、こつこつと!頑張ります。
      
posted by 徳岡邦夫 at 19:22| コラム

2006年07月15日

交合の序破急

序破急は なべてに在るも 交合の 序破急こそは 根源ならめ ・・・・・・観阿弥
 

「交合の序破急」とは、前戯に始まるセックスの流れのことでしょう。       
 
能楽の「序破急」のリズムは全ての中に存在している。       
そして「交合の序破急」こそが、その「根源」に在ると言うのでしょう。  
生命を生み出す営みとして「交合」をとらえるなら、その通りなのかもしれないですね。
 
翁舞ふ 父のかたへに みづからを 宇宙(そら)の岬の ごとく置きけむ・・・・・ 観阿弥  
 

一つの道を極めんとする父子の関係が詠われているのだと思います。  
       

「翁」を舞う「父」観阿弥の傍らにいて、世阿弥は自分を「宇宙の岬」のように遙(はる)かなものと感じているのでしょう。  
 

遠くに離れ暗黒の中 目指す光の眩しさを感じます。 さまざまな要因を集めて統一された景観を作り上げる偶然の作用も、世阿弥の目を通してみれば力強い必然へと転じるのかもしれません。 
       

てんでばらばらに好き勝手に生きているように見える人間、動物、植物といった個々の存在も、その根底では互いに必然の調和を保っている、と世阿弥は考えたのでしょう。彼は、能楽論書「拾玉得花」の中で次のように説いています。  
 

「能能安見するに、万象、森羅、是非、大小、有生、非生、ことごとく、おのおの序破急をそなえたり。鳥のさへずり、虫の無く音にいたるまで、其分其分の理を鳴くは、序破急なり。」  
  

「序破急」という言葉は、広大無辺なる世阿弥思想を包括し集約したまばゆい結晶体である様におもいます。
 

序破急は、直接には能のリズム構造を意味しますが、奥底ではありとあらゆる存在の生命そのものを象徴しているのでしょう。 
                

命を もっているという点では人間も禽獣も草木もへだてがないでしょう 。       
 
与えられた命を 命の限り生ききった時、即ち「其分其分の理を鳴」いた時、そのまっとうされた命が序破急のリズムに結実する様におもわれませんか?
 

そして個々の生命の序破急成就は、其のまま自然全体の、大宇宙の序破急成就につながるのではないでしょうか。 
 

なぜなら宇宙とは、数限りない命が結集して形づくられ、それ自体一つの命だからです。  と言っているようです。
 
皆様は、いかがお考えでしょうか? 
 
posted by 徳岡邦夫 at 11:00| コラム

2006年07月14日

水に沈む木。

水に沈む木があります。 それは「沈水香木」と呼ばれ、色は茶褐色から赤黒いもの、黄みを帯びて浅いもの、濃い黄土色、 尋常の木質色と樹脂色の斑模様などと、いろいろと種類があるらしいです。       
 

水中で沈んでしまうほどの比重を持つことから「沈水」と称され、加熱することで不可思議な芳香を 醸し出すために「香木」と呼ばれてきたそうです。 
  

今日では「沈香」として知られています。 東南アジアのかなり広い地域に分布するらしいですが、 
他の地域には絶対に見当たらないと聞いています。        

 
全く偶然の産物として自然条件が揃わないと生み出されないモノのようで、特に良質の木塊を手に することは大変に難しいらしいです。 
 

古来、中国の歴史においても、主要産地であるベトナムの歴史においても、王侯貴族にのみ許さ 
れた貴重品として認識されてきたようで勿論、我が国においても、舶載されて来る限られた品を一 つ一つ慈しむように評価し、家の宝として末代に伝えるまでの存在になったようです。
       

 いわゆる 御香、香木です。 さまざまな種類の香りがあり 見た目だけで判断すると間違いの元となります。         
手にとってその質感を感じる事によって、はじめてその木塊中に凝縮された天然樹脂の集中力を感じることができると専門家より聞いております。  
 
香りを聞いて楽しむ事と、 視覚的に楽しむ事、味覚的に楽しむ事、その他の五感を使っての楽しみ方もそうですが それらには共通点があるように思います。  
それは、 単一の感覚だけで認識しているのでないと言う事です。
 
つまり嗅覚だけで感じているのではなく視覚や触覚など複合的な情報の取り込み方を知らず知ら ずのうちに行っていると言う事だと思います。         
そして、今取り込んだ情報を、自分自身が今まで得た情報と比較し、もしくは他の人の情報と照らし 合わせて共感する部分、 もしくは違う部分を見つけ出し優劣を感じたり、共有感を持って安心した りして楽しんでいるように感じています。  
 
それらはどうやら、 われわれ人間が生き続けようと感じる為に 必要な行為なのではないでしょうか。         

特に協調して生きていこうとする人々には そういう事が必要なのかも知れません。 ですから身体能力が低く助け合って生きていく事を良しとしている日本では、こういう独特の文化が 途絶えずはぐくまれ、受け継がれてきたのでしょう。 
    

その様に 考えられんないでしょうか?  
 
ただ時代は変わりつつあります。 香りを聞いて楽しむような文化は、このままでは本質の無い、ただのトレンドに形を変えてしまいそうです。       
そして それらが本質の無 い物になってしまった瞬間、そういう文化的な価値観は、影も形も 無くなってしまうかも知れませんね。
 

たぶん、文化的な行為と言う知識欲は、生き残る為に得る知恵(生存欲)とは違い、他の人との比 較する事で生きる目的、或いは生きる喜びを感じ、 生きる事を意識せずその事に熱中する事が出 来る事によって、その事の為に懸命になり、継続しようと思う為に食糧を取る方法を工夫し、食事 を取り、その食事の取り方にもこだわりを持ち、自分自身の存在価値を見出し、結果的に生きてい る喜びを味わっているという 良質な思考循環を行っているのでしょう。 
  

最終的には生き続ける為の欲につながるとは思いますが、 二次的な効力の為に直接生きる事と   結びついている様に 感じられていないのではないでしょうか。 
 

「アートは、生きる為に必要ない!」と認識されている方が殆どだと思います。 
  

私は、アートは生きる為に必要だから形を変え 人間界に存在し続けているのだと考えています。 
  

皆様はどのようにお考えですか?  
 
形を変えてまで 、受け継がれてきたのはなぜでしょうか ?
 
人間界に、 必要だったからではないでしょうか?  
 
必要とされない物は 自然に淘汰されていくと言う事ではないでしょうか?  
 
その反対も真なりで 、今存在する物は 今必要とされている物なのでしょう。        
人間も一つの要素ですから 必要無ければ 消滅の道を歩むのでしょう。
大きな枠組みの中で 、人間は、その大きな枠組みに必要とされないで自らを崩壊していこうとしているのでしょうか? 
 
私は、今だからこそ、 今の方々に伝わる方法で、 今までの経験を活かし本質を探り出し、それを形にして 伝えていく必要があるように思えます。  特に今、世界で協調して生きていこうとする動きが少しでもある今こそ、 人間が生き続ける為に必要な文化の本質を見極め 、わかりやすく伝える 必要が ある様に思います。  
 
その為には 体験してもらう事が必要ですよね 。
 

短絡的に考えると、簡単に、そしてお手軽に体験出来るようにしてしまう事が良策の様ですね。 
 

ただ簡略化しすぎると 本質が なくなってしまいそうです。       
 
バランス、タイミング、順番が 難しい様に感じます。 もっと難しいのは、 言葉や習慣などや価値観が違う事です。その問題に対しては、伝えるというより それぞれの地域、世代、性別が違う事により 、価値観が違う事自体を、まず知る事が、大事かもしれません。
 
それぞれがそれぞれの為に懸命に生きる事は素晴らしい事なのですが、楽しいゲームをしながらその違いが埋まったり、違いに付いて話し合えたり、徐々に皆で建設的な事が出来たり 、互いの気持が 伝わり合えれば素晴らしい未来になると考えています。
 
「聞香」というのは、その様なゲームに おもえます一歩一歩 私なりに トライしていきたいです。
 
皆さん 力を かしてください      !!
 
posted by 徳岡邦夫 at 22:13| コラム

2006年07月13日

あいつと俺の間柄。

「あいつと俺の間柄だよ!」 と言う言葉があります。

 師弟間に使われる事は、少ないと思います。  
       

ただ、この言葉が使われるくらいの師弟関係を築く事ができれば、素晴らしい事が起こりそうです。

それくらいの信頼関係がないと修業は、もしくは技の伝達、魂の伝達、情熱の伝達は、成り立たないのかも知れません。

これだけの言葉を師匠に 言わしせしめるだけの弟子でなければ、また弟子に対して 考える事無く、即座にこれだけの言葉を言う事の出来る間柄を作り上げていく 師匠でなければ この言葉は師弟間には存在しないでしょう。

禅宗では、よく弟子には 3通りあると言われてるようです
「上士は恨みにつき、中士は情けにつき、下士は勢いにつく」 
       
この上士、中士、下士の「士」と言うのを 必ずしも男と考えないでください。 
       
上等の人物、中等の人物、下等の人物。これも、生まれながらの事では無いと思ってください。 
       
その時その時の状態が上等か、中等か、下等か、と言うことです。いろいろ変化すると思います。
上等の弟子、あるいは上等の人間というものは、恨まずにはおられないほどの困難にぶつかって、いよいよ発憤して食らいついていくものだと言うのが、「上士は恨みにつく」と言うことです。
 
個人的に恨まずにはおれないと思うような扱いを受けたり、神や仏を恨まずにはおれないほどの不幸せに出会う。 その挫折にどの様に相対出来たか、その挫折の時期をいかに生きたかが大切なように思えます。
何に出会うかではなく、いかに経験したかと言う事が重要なのだと感じています。
 

「中士は情けにつく」と言うのは、本当は学校も、仕事も辞めてしまいたい、極端に言えば人生も止めてしまいたいが 親や師匠、友達があんなに自分のことを心配してくれているから その情愛を考え 止めるわけに行かないので続けて行くと言うのが 「中士は情けにつく」と言うことだと思います。
現在の日本の学校は、幼稚園から大学院、専門学校に至るまで、学生の気持ちを理解し思いやりのある教育でなければいけないと言う考えで対応しているようにみえます。

しかしこれは学生を上士とではなく 中士として扱っていると言う事には ならないでしょうか? 
       

つまり、「あなた達に これだけ愛情を持っているのですよ。」と示しながら引っ張ろうと言うやり方です。 
 もっとひどい言葉を使うと 学校が学生に へつらっているようにもみえます。

 
下士は、勢いにつくというのは、社会的名声、社会的勢力が大きいから、あの人についていれば、あの団体に仲間入りすれば、人生安心ではなかろうかと、社会的に勢いのある物にくっついて行こうとする奴。    これが「下士は勢いにつく」と言うことだと思います。
 
師匠として弟子対して 下士としての対応しか出来ないようで有れば 弟子もそのような対応以下の事しかできないと思います。  
それは 信頼の度合いですよね。それまでの積み重ねがそうさせるのでしょう。
 

交友関係や社会関係の中で本来なら傷ついたかも知れない、汚されたと思う扱いを受けた時に その経験を、その扱いを その罵倒を逆に 発憤材料にして 自分の人生を手堅い物に鍛え上げていけたら 素晴らしいと感じています。

このような想いが信じるという事と同化した時、  信じると言うことは、イコール、工夫すると言うことになるように思います。

信じると言うことは、文句を言えない事のようにも感じますが これは無理だとすぐに断れる様な環境内で人は 向上するでしょうか。

 もし無理と感じない事だけをやっていれば 自分の今持っている能力の範囲の事しか出来ないままでしょう。 
   

師匠が仮に「おまえが 殺せ!」と言ったとします。
そおしたら本気になって匕首かなんかを持って出かけていくのはヤクザ映画のワン・シーンですが
信じる師匠が 倫理的にも、道徳的にも間違ったことを言うはずが無い、だとすれば「殺せ!!」と言う言葉に 何か深い意味が有るに違いない、いったい其れは何なのだろうと 工夫していくと言うのが 信じると言うことの内容だと思います。
 
信じて工夫する事の先には 無限の可能性を 感じます。
そういう上司に なるように努めます。
その為には まず自分自身を信じれるよう 努力するしかないかぁ!! 
 
ファイト!!!
 
   
posted by 徳岡邦夫 at 20:19| コラム

祇園祭り

祇園祭りは、八坂神社の例大祭で、昔は祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)と言われていました。
 
始まりは貞観11年(869年)で、当時全国そして京の町に疫病が蔓延し国民の窮状はきわめて悲惨であったようです。
 
そこで悪疫を鎮めるために、ト部日良麿が当時の国の数に準じて66本の矛(鉾)を神泉苑に立て、牛頭天王(ごずてんのう)に祭ったのが始まりといわれています。 

※いろいろと説があるようですが そして、天禄元年(970)に「毎年の儀」となって以来、千年余にわたって、各山鉾町の町衆によって受け継がれてきています。 
     

現在、各山鉾町に並べられる山鉾は全部で32基あります。 一般に、祇園祭と言うと”宵山””山鉾巡行”が有名になっていますが、実は、ほぼ1ヶ月にわたってさまざまな行事が行われています。
                 

おそらく祇園祭と言えば、宵(々)山と山鉾巡行のこと思っておられる方が多いでしょう。
       

祇園祭のメインは山鉾巡行ではなく、実は神輿なんですね 山鉾は、主役である神輿の前を行く露払い的な役割なんです。でも、動く美術館とも言われる山鉾が祇園祭として一般的に認識されているのもいた仕方ないことだと思います。
 
山鉾の上で囃される、いわゆる「コンチキチン」のことで、室町時代末期に能楽の影響を受けて作られ、江戸時代に現在の囃子になったと言われています。
囃子は鉦(かね)・太鼓・笛の三つの楽器がつかわれています。
囃子の曲目は、30曲近くあります。山鉾により一部共通のものがありますが、その多くは、各山鉾独特の囃子になっていいるそうです。
 

長刀鉾町には、翌日の巡行の晴天を祈念するため、山鉾町から四条御旅所の間を、囃子を奏でながら往復します。長刀鉾町は、7/16深夜に八坂神社まで巡行し、囃子を奉納します。日和神楽巡行の後をぞろぞろ歩くのが、なんとも楽しいですよ!!囃子の曲目もたくさん聞けます。
         

祇園祭りにつきもの一つに「ちまき」があります。これは、食べられる「ちまき」ではなく、”夏越(なごし)の祓い”のときにくぐる「茅の輪」が変化したものとされています。
 

 授かった「ちまき」は、家の門口につるしておき、翌年の祇園祭に新しい「ちまき」と取り替えるまでの一年間、厄除け・災難除けとします。

山鉾巡行の時には、以前は山鉾から「ちまき」をまいていましたが、現在では新町通などで、少しだけ行われているようです。
                   

護符(ごふ)とは、各山鉾で授与される「お守り札」のことで、山鉾の祭神の縁起や由来により、山鉾ごとにそれぞれ異なります。
       

希望の護符を求めての宵山見物を楽しむのも楽しいと思います。    
ちなみに
       
船鉾:  安産のお守り   
占出山、 鈴鹿山:  雷除け・安産のちまき   
山伏山:  火除け・雷除けのお守り   
霰天神山 、孟宗山:   親孝行のお守り    
郭巨山:  母乳の出を守るお守り   
八幡山 : 夜鳴き封じの鳩笛と鳩鈴     
太子山:  知恵のお守り     
油天神山:    進学成就のお守り     
白楽天山:  学業成就のお守り     
保昌山:  縁結びのお守り     
役行者山:  疫病除けのお守り    
浄妙山:   勝ち守り    
鯉山:  立身出世のお守り    
黒主山:  魔除けのちまき
 

17日の巡行の順番を決める くじ取り式は、山鉾の先陣争いが絶えなかったため、室町時代の明応9年(1500)に始まった伝統行事です。 
  

釘を一本も使わずに、縄だけを用いて”縄がらみ”と呼ばれる独特な結び方で鉾を組み建てます。鉾ごとに、それぞれ違った結び方があり、技の美を感じさせます。 

 宵々山(15日)と宵山(16日)の夕刻より、山鉾町一帯は歩行者天国となり、多くの人で毎年賑わっています。

山鉾には駒形提灯に灯りがともされ、”コンチキチン”と祇園囃子が奏でられます。
       

また、山鉾町の一部の町家などでは、屏風などの美術工芸品が飾られ、一般に開放されています。
宵山の深夜に行われる、南観音山の「あばれ観音」が有名です。    

長刀鉾を先頭に、四条烏丸を9:00に出発し、32基の山鉾が四条通〜河原町通〜御池通〜新町通へと巡行します。 
 

途中行われる「辻回し」には多くの見物客が集まります。  

十数トンもある鉾の方向転換。地面に車の回転軌跡に合せて割竹を敷き、それを水で濡らします。そして、前の車を割竹の上に乗せ、鉾に乗った音頭取の掛け声に合せて、曳き手が力いっぱい綱を引っ張り、鉾を回転させます。

巡行の見せ場でもあり、各鉾が気合を入れて取り組みます。勢い良く回すと、見物客から大きな歓声があがります。ただ、一度で転換させるのはなかなか難しいようで、数回に分けて転換されることが多い様です
 四条河原町、河原町御池、新町御池の各交差点で行われます。
    1日 吉符入(きっぷいり)(〜5日) お千度詣
    2日 鬮取り式(くじとりしき) 山鉾町社参 
        7日 綾傘鉾稚児社参<
        9日 幣切 
        10日 鉾建(〜13日) 神事用水 清祓 お迎え提灯 神輿洗
        12日 鉾曳初め(13日) 山建(〜14日
        13日 斎竹建(いみたけたて) 高橋町社参 稚児社参 久世駒形稚児社参 
        15日 伝統芸能奉納 宵山(〜16日) 宵宮祭
        16日 献茶祭 日和神楽
        17日 山鉾巡行 ・しめ縄切り  ・鬮あらため  ・辻回し 神幸祭
        18日 狂言奉納(〜22日
    20日 宣状式 23日 斎竹建(おはけ)
    24日 花傘巡行 還幸祭
    31日 疫神社夏越祭
   
posted by 徳岡邦夫 at 20:08| コラム

2006年07月09日

NHK「プロフェッショナル」に登場!!

「プロフェッショナル」に放映されます。NHK総合テレビ 7/27 木曜日22:00〜です。
再放送:7/31・16:05。8/3・1:10。 BS2では、8/2・17:15。 それぞれに放映されます。
 
乞うご期待!!
 
一ヶ月少し、密着取材をして頂いて、仕上がりは、放送法の関係で、確認させて頂いていませんので、どんな仕上がりになるのかドキドキです!!
 
「プロフェッショナル」とは、(NHK・HPより):
番組に登場するのは、誰もが認める、その道のプロ。斬新な試みに挑戦し、新しい時代を切り開こうと格闘中の挑戦者であり、数々の修羅場をくぐり、自分の仕事と生き方に確固とした「流儀」を持っている仕事人たちです。

 時代の最前線にいる彼らはどのように発想し、斬新な仕事を切り開いているのか。これまでどんな試行錯誤を経て、成功をつかんだのか。そして、混とんとした今の時代をどのように見つめ、次に進んでいこうとしているのか。
 普段はカメラの入れない仕事の現場に密着した取材ドキュメントVTRと、本人をスタジオに招いての徹底インタビューで、現在進行形で時代と格闘しているプロの「仕事」に迫ります。

 「プロジェクトX」は過去の業績に光をあてましたが、「プロフェッショナル」は、今と未来を描くドキュメンタリー。現在進行形だからこそ、現場発の「仕事に役立つ情報」と、視聴者のみなさんが「自分も頑張ろう」と思えるような「明日への元気」をお届けします。
 キャスターは、新進気鋭の脳科学者、茂木健一郎さん。脳と心の謎に挑んできた脳科学のプロフェッショナルが、独自の視点で、異分野のプロに切り込みます。
 し烈な競争や成果主義、ニートの急増など、日本人の仕事をめぐる状況が大きく変わりつつある今だからこそ、プロフェッショナルな人々の姿を通して、仕事の奥深さ、働くことのだいご味を伝えたいと思います。
 
 
毎日放送「美の京都遺産」と言う番組にも、出演が決まりました。
VOL88、 7/30・朝6:15。
VOL89、 8/6・朝6:15です。
毎日放送が会社を上げて行っている「京都プロジェクト」の中の代表番組だそうです。
タイトルは、「料理と言う文化〜湯木貞一の遺したもの〜」という事で、前編後編で放映されます。
 
その後は、
毎日放送さんで、もう一本。60分番組の30分間ぐらいの取材を受けています。
 
BS-JAPNは、120分番組で、「徳岡邦夫スペシャル」をとるそうです。
イタリアでのイベントがきまりましたので、そのことが中心になると思います。
 
BS−Iでは、ミスター円と呼ばれた榊原英資さん司会で、食文化の改善の為。一次産業の健全化、復活の為の番組を10月から始めます。私も、企画段階から参加さしていただき、形だけでなく、実際に改善される為に微力ではありますが、御手伝いさせて頂いています。
 
posted by 徳岡邦夫 at 17:15| コラム

2006年07月04日

勇気と努力が必要です!!

吉兆の創業者である湯木貞一は、茶会で懐石と出合い、料理を一生の仕事と定めた人でした。

そんな祖父がお茶時のなかでもっとも大事にしていたのが、白ご飯の炊き方とその出し方です。
       

食の基本と最高の料理は家庭にあるということを信条にしていた祖父は、お米こそ日本人にとって、日本料理にとって、一番大切な要であると捉えていたのでしょう。白ご飯に並々ならぬ心血を注ぐ祖父の仕事を傍らで手伝いながら、私は茶の湯の在り方やしつらえの大切さ、日本料理の真髄を学びました。 
   

実際、お茶事で出される白ご飯は、筆舌に尽くしがたいほど美味しいのです。湯だちといいまして、生米にいきなりお湯を注いで、ぐつぐつ煮るのがお茶事の白ご飯。
 

お米の粒に心持ち芯が残り、表面に水分が回ってつやつやと輝くアルデンテに炊き上がります。それをしゃもじで掬ってお碗に移すと、すっと落ちる。 
切り飯というのは、本来こうしたご飯のことをいうのですが、このアルデンテはその美味しさが長続きしません。だからこそ、炊き上がりのもっとも美味しい間に、絶妙なタイミングで招客にお出しすることが、お茶事の大事とされていたわけですね。 
 

吉兆では、この白ご飯を特注した専用の金釜で炊いています。金釜や土鍋でご飯を炊くためには、火加減や水加減に少々経験が必要ですが、コツさえつかめれば一般のご家庭でもアルデンテのご飯をつくることができるはず。 
 

そこで今回は本邦初公開、吉兆の白ご飯の炊き方をご紹介しましょう。 低温でじっくり時間をかけて精米したお米は、密封して涼しいところに保存しておきます。
 

お米研ぎは次の手順で。まず多めの水をはった桶を用意しておきます。別の桶に米を入れ、溜め置きしておいた水を入れてすぐに水を捨てる。水を切ったお米を軽く混ぜるようにしながら研く----という作業を5回ほど繰り返します。 
   

水切りしたお米に濡れ布巾をかけ、炊き上がりの二時間前に水盛りして炊き上げます。お米の状態や火の強さによっても違ってきますが、5〜6分までに拭く蓋付鍋が良いと思います。鍋が吹き始めてから11〜12分くらいで出来上がります。
 
蒸らさず、白ご飯は何といっても炊き上がりが一番美味しいと私は感じています。この美味しい時間に合わせて、付け合せやおみそ汁をつくるのが料理というものでは無いでしょうか。
 
美味しいものを食べるためには、やはり手間と努力が必要で、食の基準もそこにあると思われませんか?????
 
生きるために必要なものは、努力なくして手に入れることは、出来ないのです。
 
もうすぐ、七夕です。
ロマンチックな時を過ごす為に、織姫と彦星に願っているだけではだめですよね!
さあ、会いに行きましょう!! 今すぐ  !!!   
 
posted by 徳岡邦夫 at 18:57| コラム

人にやさしく

気が狂いそう やさしい歌が好きで
ああ あなたにも聞かせたい
このまま僕は 汗をかいて生きよう
ああ いつまでもこのままさ
僕はいつでも 歌を歌う時は
マイクロフォンの中から
ガンバレって言っている
聞こえてほしい あなたにも
ガンバレ!

人は誰でも くじけそうになるもの
ああ 僕だって今だって
叫ばなければ やり切れない思いを
ああ 大切に捨てないで
人にやさしく してもらえないんだね
僕が言ってやる でっかい声で言ってやる
ガンバレって言ってやる
聞こえるかい ガンバレ!

やさしさだけじゃ 人は愛せないから
ああ なぐさめてあげられない
期待はずれの言葉を言う時に
心の中では ガンバレって言っている
聞こえてほしい あなたにも
ガンバレ!

 

「やさしさ」をつかさどるのは、大脳らしいです。

大脳は、ショックな事、つらい事、いたたまれない事、を受けると、急速に成長するそうです。
       

つらい事をたくさんすれば、やさしい人、優れた人になるのでしょうか? つらく、厳しく、さむい環境というのは、それぞれが感じることで、第三者には、つらそうに見えても、本人は感じていないこともあります。       
 
生きぬく事というのは、他との比較をすることではなくて、その環境に適応することだと思います。
 
昆布や雲丹が、その環境にいること はつらいことでもなんでもないのです。
その環境で、進化、適応してきたのですから、人間がつらいと思うものとは、違っていて当たり前でしょう。
懸命になることがあることが、幸せだと思います。何でもよいのではないでしょうか。       
その事を行い続けたいが為に、工夫をするようになり、そんな中でいろいろな体験を自分自身で真剣に感じ、また欲求が起こってくる。よって面白くなり、また工夫をする。
 
そういう繰り返しを続けていくと障害が発生します。

継続する為には、折り合いをつけ、工夫ができないと続けられません。
 

また、さらに続けると、そういう事を体験の中より、取得したいろいろなタイプの人にで会うことになるでしょう。その体験を共有できる方と一緒にいることによって、癒されるからでしょう。属していると感じることで、安心するのです。
 
はじめは、偏ったグループメンバーで構成されますが、だんだん大きくなるほどに、ほんとにいろいろなタイプ、思考の持ち主が参加する事になっていくようです。
そうして社会は、出来てきたように思います。       
基本的には、臨機応変、その場、その場の環境に適応できる人が、生き残ってきて現在の社会が出来上がったのでしょう。。。
 
これからも、そうなんでしょうか。。。。。

ばんばれ!!
     

posted by 徳岡邦夫 at 11:59| コラム